朝の5時まで仕事をしてから、Jack Danielを呷りつつ、時間をつくれず借りたままとなっていた<リリイ・シュシュのすべて>を観る。午前6時50分。家族の起きる前に観終える。
ー「そうですね。
僕の場合、ハンディカメラが
多いんですけど、最大の理由は、
「レールを敷いていると
時間がいくらあっても終わらないから」
です。」ー
ー「たとえば、あるカメラマンや照明さんに
久しぶりに会ったときなんかに
「最近、何やったの?」
って声をかけたとします。
「あの映画やったんだよ」
「ああ、ほんと。おもしろいの?」
「べつに観なくていいよ」。
その「観なくていい」という映画に、
例えば2ヶ月なら2ヶ月間を
彼らは費やしているんですよね。
2ヶ月やった結果、「観なくていい」。
これが最もつらいことです。」ー
ほぼ日刊イトイ新聞「岩井俊二監督と、ほんとにつくること」より抜粋
<リリイ・シュシュのすべて>は、ある意味、この国の表現のレヴェルを内外に示した作品と云える。個人の制作をこの国のというのはおかしな響きがあるけれども、それほどこの国は「トップダウン」あるいは「差別的」な罠に縛られているのだから仕方ない。
貧しいこうした環境にあっては、やはりゼロからはじめなければならなかった監督の気持ちが理解できると同時に、やっちゃったのね〜という、人間の力に敬服する。どうぞ、このまま固有な手法をウイルスに害されないことを祈るのみ。