大学時の友人の鈴木君から、昨年5月に、郡山の美術館から、千葉県佐倉市の川村記念美術館に移ったと年賀の形で葉書をいただいた。展覧会の企画などの仕事をする学芸員として、彼も随分成熟しただろうが、80年代には何度か作家として私と共に活動していた。神田の小さな画廊に血の気の多い輩が集まり、巷の好景気などまるで関知しない顔つきで、淫らなほど真っすぐに表現に取り組んでいたものだ。ああした空気自体が、経済的な要因によって生成したのだろうことは、今になって理解できるが、経済の破綻と共に、孤立した創作者は、結婚などをして、更に孤立へと向かったようであったのは興味深い。だが、その孤立の成熟が、時を経て、あるいは、オソロシイモノの立ち上がりとなって、近い将来、次々と姿を現すのではないかという予感があるのはワタシだけだろうか?