Agfa optima 1035 /(1978)をネット上で探すが見当たらない。歩いて探すことにする。(Agfa optima 1035は距離目測式。1535がレンジファインダー、Agfa Optima Sensor (Germany 1981) が後発機だが、ゾーンフォーカス)
続けて、MINOLTA CLEを探す。クオリティーはこちらのほうがよいだろう。
the brown bunny/Vincent Gallo, NOCKING’ON HEAVEN’S DOOR(1997) / Thomas Jahn, 花とアリス / Shunji Iwai, Spider-Man 2, 4人の食卓、 Complicity(1999)。
16日の夜長野へ。
ー人の手の動きの先を行く機械の音は無機質である。防音の工夫がさまざまにほどこされる。しかし喩えばの話、汚水を完璧に浄化した水を出されて、呑めと言われれば、人はたじろぐだろう。騒音を濾し取った後の、音にならぬざわめきこそ人を耳から侵す。ー
古井由吉「ひととせの/東京の声と音」より抜粋
ー三島由紀夫とは「明晰」の謂である。しかもそれは「かくて余人は知らず私にとっては、明晰さこそ私の自己なのであり、その逆、つまり私が明晰な自己の持ち主だというのではなかった」というような「明晰」である。
この「明晰」が何であり、何によって可能なのかということを示す必要がある。三島の論理の特徴は、弱者が弱者を否定する論理であり、つまり「不具者」の論理である。それは「自分の醜さを無に化するやうなかういう考え方」であり、「観ると同時に隈なく見られていなければならぬ」ような在り方である。彼は現実的に疎外された者が、それを幻想的に転倒するような所に欺瞞を見出さずにはいない。即ち彼は現実的に疎外された者が本質的に「不具者」そのものであることを見てとってしまうのである。不具者は如何なる方法によっても、不具者たる現実から免れることはできない。我々はすべて不具者なのだ、という観点から三島の「明晰」は発揮される。ー
柄谷行人初期論文集/思想はいかに可能か(東京大学新聞社1966)著者執筆時25歳)より抜粋
意識せずに偶然交互に読み添えたものの印象が、ひとつの淵へ落ち込むように重なった。「思想家は自己を相対化してしまう現実の秩序と生活の地平に耐えねばならぬという恐ろしさを見極めようとする所からのみ生まれる、といってもよい(同上プロローグより抜粋)」と青年柄谷が冒頭で示す価値(名に値する)サンプルを、いきなり目の前で確認している錯覚に陥った。丁度自身の1993年のポジから決定的なものを選ぼうと決めた矢先のことで、同時に1985年から1990年に及んだ試みの相対的な併置を、その選択後に淡く計画していたことを加えても、そういった意味での複雑さを抱えて加速することになるだろう。柄谷の「歴史と反復」注文。
批評空間/浅田彰アーカイブ
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