思い起こせば前の月の末から必要に流されて一日の歩く時間が長くなり、休日でも外へでかけていたからか、左足の甲の痛みが尋常ではなくなり、二日ほど前は歳のせいかと眠れば治る程度に惚けて考えていたが、今日の夕方になって痛みは増した。日々歩くことが仕事ではないにしろ、歩かないわけではなく、かといって健康に気をつける戒めを自分に課すほど、カラダの壊れが表立つこともなかったが、痛みを解析するとその原因が、椅子の座り方にもあると気がついた。深夜の仕事の横で、Takenouchiと彼の研究テーマに関してやりとりをしながら、互いに考えを束ねたり解いたりを繰り返し、こちらはむしろ彼に刺激を求めていたのだが、こちらの横槍が彼の合理的で、尖ったピッチのビジョンに対する弛緩を与えたような気が都度したものだ。そして、その横槍が左足の痛みと共に記憶されている。横槍は痛みに支えられていたとも考えられる。ちなみに横槍の正体は「不完全さの構築」だった。中学の頃左足の捻挫ばかりしていた。松葉杖で通ったこともある。激しい運動で捻ったわけでなく、単に廊下を軽く走った程度で挫いた。あるいは振り向いた時にカラダが傾いた。高二になって、生物の教師が標本の並ぶ研究室を肉体改造のトレーニングルームに仕立て、不健全なカラダの我々を誘った。一か月ほどで胸囲が二十センチ近く増えたことに驚いた。進学校の生物研究室が半裸の男子生徒の汗にまみれ、がちゃがちゃと金属の反復音が響く放課後が今、この左足の痛みの上で幻視できる。痛みは不完全さの証ではあるから、日々どこか痛まないとどうも錯覚してしまうようだ。


頑張ったけれど、final(期末試験)の結果、ミスが目立った長女には、今月末までに、進学する高校を独りで決めなさいと伝えてある。こちらも完璧な受験生として、ガリ勉していただくつもりはないし、本人も、競争するようなレヴェルには興味が無いようなので、自身の自覚を促すだけだが、試験の終わった日にほれと渡した島田雅彦「自由死刑」を夕食のあと読み終えたと、こちらに返した。面白かったらしいが、最後が曖昧で気持ち悪いと添えた。あっさりとわかりやすく死んでしまってほしかったようだ。長女の進学校の選択肢には、制服と共学に大きな意味があるようだ。セーラー服は嫌らしい。他に何か読むものない?と聞くので、島田の「そしてアンジュは眠りにつく」と村上龍「5分後の世界」を渡した。英語漬けは毎日やれよ。