風呂の中で、硬直してきているものを解すために、ジョナス・メカス「メカスの映画日記」を再読しはじめたのは、3月にはいってからだったが、1959年から1971年までの、ダイレクト・ムービーなどの登場の擁護や、商業映画への体質批判など、blogを読んでいるような気分に、別なものを加えたくなって、このところ、ライオネル・エイビル「メタシアター」を間に挟んだ。1980年代の自身の最初の活動に「悲劇芸術考」という連作があり、当時の「悲劇」という構造への関心と、思考の補助の為に買い漁ったもののひとつだったが、今こうした流れの中で読むと、当時はひたすらに自己参照的に引用するしかなかったような言葉が、全く違って響いた。ーデーモンの真贋ー
2〜3秒ほど断片を見つけて併置するだけのDV構築作業から、静止画像の持つ意味を新しく見いだしている。Gentaが、Ian Kerkhof “Shabondama elegy”をamazonで購入したと聞く。このところ彼の直観(情報の選択の力)には目をみはるものがある。まだ観ていない、大いに気になる監督。Derek Jarman “Blue”と交換して、長野にて観る約束をする。Gentaには、Somke,Blue in the faceを観るように薦めておいた。今日は、これからSCITにてメンテナンス。