父親の義理の兄が急死したと連絡があり、私にとっては叔父にあたる関係なので、今日の通夜には間に合わないが、明日のお葬式には行った方がいいと妻に言われ、こちらの実家に連絡を取ろうとするがだめ。おそらく通夜に行っている。明日から学校で短期の連日講習がはじまるが、時間をつくって日帰りで葬式参列の用意をする。
亡くなった叔父は婿で父親の姉と結婚して実家を継ぎ、農家をしっかり続けていた。健康に関してのむしろ不安材料は伯母のほうにあり、今回の急死は唐突だった。長男の伯父も、一番下の父親も、兄弟の男3人全て、家を出ている。父親の父親、つまり私にとっての祖父は、豪農に生まれた愛国者だった。松代大本営建設などにも意見する立場だったようだ。父親の書はこの祖父の血を受け継いだ。だが、戦後のさまざまな改正で、豪農の力を失っていった。末っ子の私の父親をのぞいて、すべて出兵しているが、皆が戦死を免れていることを、不思議に思ったことがあり、長男の伯父に尋ねたことがあるが、彼は決して戦争の事を話すことはない。
いずれにしても父親の実家であり、兄弟らが集まれば本家と呼び、代々の墓もあり、盆や正月にはよく遊びに行ったが、オリンピックに影響された都市開発で田畠を含めた土地を幹線道路へ提供し、数キロ離れた場所へ移動したこともあり、昔の面影のない新築家屋からなんとなく足は遠のいていた。亡くなった叔父のよく通る太い声と笑顔が聴こえて浮かんだ。喪主は従兄弟の長男。