三日風邪で学校を休んで、独りでベットに寝て留守番をしていた次女にLord of the Rings_The Two Towersをみせた流れで、The Bourne Identity,(jp),Windtalkersを続けて深夜観る。私は、The Bourne Identityに、監督のインテリジェンスの軍配をあげた。知性というより編集を考慮した撮影手法というところか。物語自体、どちらも首を傾げたくなる部分があり、突き詰め方が足りなかったが、脚本のディティール(会話)など、ジョン・ウーは、凡庸で月並みだったが、ダグ・リーマンは、トニー・ギルロイ、ウイリアム・ブレイク・へロイの脚本をシャープ(而も複雑な手法をシンプルにまとめている)に映像化させている。カメラの使い方の抑揚に関心させられたのは久しぶりだった。音楽も非常に繊細に構成してあり、この監督の次回作が楽しみ。さて。これから打合せに出かけて、それから学校にて講義。夕方別件で打合せの後、現像所でフィルムのチェック。日曜日に娘たちに頼んだ散髪が縞縞のトラ刈りとなって帽子をかぶる毎日。これもよし。
週刊新潮に連載されている「闘う時評」で、青山真治の「徳田秋聲旅日記」と小説集「Helpless」について福田和也が書いたものを地下鉄で読む。映画についてはやや辛辣に迫力なしとして、以前こちらが嫌った彼の小説集を擁護している。以下引用
ー映画で提示された物語が、小説となる課程で、強い緊張を孕んだ変容をしていく、それこそが、そのスリルこそが「文芸的」と呼ぶに値する事態だと思います。ー
私にしてみれば、小説から映画という分かりやすい凡庸なスリルは、文芸的でないという意味で、皆と同じように魅力を感じるが、その逆は、単なるギミックの謎解きとしか思えない。つまり、映像は放たれたまま、広がったままがよい。でもまあ、福田の書くものは、あれはよいよねという具合のアマッチョロイ同意というか共感を示すよりはましか。とにかく映画を観なくちゃわからん。