やはりamazonは早い。連休だっていうのに届いたOVAL_”dok”(-[ドイツの音響派テクノグループOVAL(マーカス・ポップ)の新作「dok」はクリストフ・シャルルとのファイル交換(File Exchange)によって制作されました.クリストフ・シャルルが制作した音楽をマーカス・ポップが加工処理するというプロセスによるものなのですが,マーカス・ポップはOVAL PROCESSというOVALのサウンドを作るための,その工程を経ることによってすべてOVALのようなサウンドになるというソフトウエアを開発していて,実際「dok」にはOVAL PROCESSは使用していないようですが,この作品もどこをどう聞いてもOVALのサウンドになっています.こうした制作環境やOVAL PROCESSのように個人の制作プロセスを公開して誰もがその類似/相似作品を制作できるようなシステムを導入するということは,制作プロセスを共有,というよりは咀嚼していくような行為としての新しいサンプリングという概念とも考えられるのではないでしょうか. ]_ICCポストサンプリング音楽論より抜粋)は、想像した以上の不完全さに満ちている。共に注文したPhilip-Lorca diCorcia/The Museum of Modern Art, New Yorkを眺めながら、聴いて2日酔いのカラダを労る。家族は、品川水族館にでかけ、IkedaとGentaは、眠っている間に消えていた。Gentaは、東京モーターショーに行けたのかしら。
[Ovalprocess tutorial][Markus Popp: Music As Software][thrilljockey_oval]
ー「別の音楽については少し考えていた。データベースだけがオリジナルとなり、作品はすべてそこからの任意な抽出で作られるシステム。その音楽の世界における現れとして、僕が以前から気にかかっていたのは、音響派、というより、オヴァル( oval )ことマーカス・ポップの活動である。僕はほとんど音楽雑誌を読まないし、正直言って音楽に詳しい人間ではない。ただそれでも、彼の音楽は1994年に最初のアルバムに偶然出会って以来、欠かさず買って聞き続けている。それはおそらく、彼の音楽が、僕の耳には、情報の集合=データベースそのものを直に聞こえるものにしたいという一種奇妙な欲望で作られているように聞こえたからである。だれでも聞けばすぐ分かるように、彼の音楽にはきわめて多様な要素が入っている。しかし、その多様さは、あたかも図書館の分類カードのように一様に均らされてしまっている。僕はその均質な多様さという逆説に強く惹かれた。それは実は『存在論的、郵便的』の文体にも影響を与えている。 データベースを直に聞くこと。言い換えれば、データベースそのものをモノとして扱うこと。それは長いあいだ曖昧な直観でしかなかったが、『 oval process』(TKCB-71869)のライナーでマーカスの音楽の作り方を知って一種の確信に変わった。佐々木敦氏の文章によると、彼は「既存のCDや、ランダム/意図的に採集した音を記録したCDRの盤面にフェルトペンで細工を施し、それをプレイヤーにかけることで不確定的に起きるエラーをデータとして再び記録、それらを膨大なオーディオ・ファイルとしてコンピュータのハードディスクに貯蔵したものを緻密に構成することによって」音楽を作っている。CDRの表面をフェルトペンで傷つけることで新たなデータを生成する、というその行為は、ナマの音(オリジナル)とデジタル化されたデータ(コピー)を対立させるような考え方の彼方で、すべてが断片的なデータであって、したがってそれら断片をモノとして扱うことでしか新たなモノを生成できない私たちの文化の条件を、きわめてよく映しているように思われる。僕はほかの音響派についてはよく知らない。しかし、オヴァルの試みがつねにデータベースに向かっていることについては、少し自信をもっている。 」_東浩紀テキストより抜粋hirokiazuma.com