syaga.jpg次女はるなが、担任の先生から頂いてきた「シャガー」に、Ikedaは首を傾げていた。モンゴルの子どもたちのおもちゃ。サイコロのようにゴロリと放り投げる遊び方には幾つか種類があるという。羊の骨(背骨だろうと最初は思った)をそのまま遊び道具にする生活にココロがしびれた。調べると、羊の後ろ足の踝とわかった。
娘たちは歯が抜けると、必ず手のひらに乗せ私に持ってくるので、こちらが幼少の頃教えられた、外に放り投げることにずっと疑問を抱いていたこともあり、家族には気持ち悪いと云われるが、フィルムキャップに入れて保存していいるので、シャガーに倣って、人生ゲームなどのボードゲームで、抜けた歯に名前を付けて遊ぶのも悪くないと思った。同じようにして、こちらが死んでしまってから、火葬になどしないで、土中で食物連鎖にカラダを任せてから掘り出し、どこか具合の良い形の骨を選び、それで遊んでもらうゲームを構想した遺書でも書いておこうか。これはなかなかよろしいが掘り出すという手順がいまいちか。そういえば、1992年に祖母の火葬で骨を骨壺に納めたが、あの時実はひとかけらでも欲しいと思っていた。近親者が、故人の骨を選んで持ち帰り、その骨を様々に生活の中に定着させるという社会は、これまで幾つもあったはずで、むしろそのほうが率直な故人への愛を感じる。
普段はくだらないコピーのキャラクターで遊んでいる次女にしてみれば、意識の底の魂がざわめいたおもちゃ「シャガー」ではなかったか。