ー新しい体験を描き出すこと、これが現代作家の欲求であり、また、存在の理由でもある。自分の現に住む世界の中で人間的に不可能だとされているものを、なおかつ人間的な体験として描いてみること、また、ただ異常な出来事として精神の外におかれているものを内面的なもので満たしてみること、そのような試みへの衝動に責められていない作家は、現代作家として評価されるべきでない。真に現代作家らしいものをあたえるのは、熱狂的にせよ、ひややかにせよ、体験の突破口をうかがう、あのほとんどエロティックな緊張である。ー本文冒頭より
ーロベルト・ムージル / 古井由吉
気分的に目に良いのではと口にしているクランベリーやプルーン、ブルーベリーが、回復力において本当に効いているような実感がある。盲目的に惰性で口にするモノを都度意識しようかとそれを始めると、これまで無頓着であり、気づかなかったことがあまりに多いと知る。
オープンしたばかりのマルエツに行くと、人と食材が溢れており、昨今の食品事情等関係無い賑わいがあり、眺めるだけで食欲が満たされる。24時間営業ということもあり、なかなか便利。コンビニにはなかったドライフルーツを購入。
HD DVDプレーヤーは、エイジング効果があるのかしらないが、使う程に不具合がなくなり、描写を忠実に再現してくれて気持ちがいい。HD DVDは音響の質も違うようだ。届いたベクシルHDは、微細な演出・描写は監督の資質を感じさせたが、脚本が乱暴、お粗末で現実感に欠け、世界観が貧弱。一緒に届いたFull Metal Jacket HD DVDは購入正解。個人的には前半よりも後半のキャメラ(特にレンズとロケーション)に学ぶことが多い。但し撃たれるシーンのアップ、スローモーションはいただけない。カット割りも少ない。長回しに苛立を覚える箇所がある。これも時の推移のなせる感覚かもしれぬ。
多分子ども達や一部のマニアは喜ぶのだろうエクスマキナとベクシルの差異も、技術的な向上も、トヨタと日産を並べるのと大差がないので、あまりこちらにとって問題にはならなかった。現代もっとも日本的であると云われる技術的なクリエイションは、やはり共同作業としての総和的な単純な倫理が貫かれており、原作があっても、特異な意匠があっても、その表象化を支える過程に注ぎ込まれる様々な意欲や個々の努力が撚り合わってにじみ出るので、どこかサークルの発表会を見ている気分になる。独りの人間から生みだされたものと受け止めることはできない。日本アニメは、私の中では、その後に口直しに再度眺めた capote(2005) / Bennett Miller(1966~)の、幼稚な悪戯に振り回された疲労を癒し、混乱を抑える作品効果の前に雲散霧消して黄昏れるのだった。この印象の隙間に、空港に試験的に取り付けられたという航空機の到着を視認させるモニタリングシステムが報道されたが、その稚拙さに失笑が漏れた。そしてやはり、Gus Van Santや、The Coen Brothers、Marc Forsterらの、固有な作法の静謐さが作品にくっきりと明晰に顕われる単独の作家性へ眼差しは向き直り、この国に滲むウイルスのような集合体という稚拙さが王道を歩む指向性に憂いを抱くのだった。
決定的なのは、日本アニメが現実性の再現への技術革新へ時間と能力を注ぐあまり、キャラクターをどのように動かせるかという我侭な関心が先行し、人間はどのように存在するのかということを喪失していることだ。
性差をとやかく気にするわけではないが、例えば流行歌など聴いていると、男性の声が広がる時代が訪れている気配があり、女性の声が広がる時は、社会が母性的で、男達は聞き耳をたてる。男の精神を擁護し安定していたようであるから、男の声というフィジカルな伝えが響くとき、醒めて眺める女性の目が、母性的なものから精神を抱え直した全人格的なひややかなに突き放した視線に変容し、同時に社会も、声に連動した精神を手放したケモノとして振る舞う男たちの蒙昧な暴挙に堪えきれない状況へと反転するかもしれないと考えると怖くなった。