目的(完成)を放棄する手法として、併置論を置き、三種類の図的な構造を加算することで生成する事象と交渉を試みる。事後的な内省を含みながら交渉の不足に対して持続的な関与を屡々時間を挟んで行う。この視覚のネゴシエーションには経験的な技法が呼び出されるが、言語的な意味での文法がこの折衝に横たわっているわけではないので、初動から半ばまでは、言語的文法を見出すような作業になる。とはいっても文法を確立することは重要でなく、都度の併置に対する折衝態度の基本的な許しを与える為に「できること」を選び出すようなことだ。目的化されない交渉とは、つまりその折衝自体の試論的な取り組みが、果たされずとも残るだけのことであり、寧ろ現在が過去と未来へ触手を伸ばす状況事象として停まるのだろう。
 この事象は恣意的な世界介入の交渉であるから、生存がトータルに反映される。仮に事象交渉が技芸的な意匠を孕むとなると、生存が偏った偏執と示されるが、おそらく事象の隙間に生じ降り落ちる悉によってそれを回避するようつとめるだろう。

 自身をリアルタイムの世界を測るリトマス試験紙と見なせば、破綻、破壊、壊滅、崩壊、などといった、ある種「壊れの世界」に辛うじて生存する悲劇として、全面的に享受することが前提となる倫理は、都度新しく創出される。つるつるピカピカに完成する(目的が達成する)世界という妄想を切り捨てる意志が、倫理を率先する道理を踏まえ、表象への違和感に素直に従う筋がある。人類本来の性状が「壊れ」の本流と一旦考えて、その自省的観測から、矛盾する精神を明らかに記録、記憶する行為を藝術とする。これは殺人者の葛藤、性同一性障害などに似た自己矛盾が生成の初動を牽引する。