memoが重くなったので移動。
エアコンをつけなくても今朝は涼しい。北陸の道路マップを広げ、このところ豪雨災害のあった富山金沢を避け、直江津から北上するルートを探索。一泊して早朝のロケが望ましい。奥裾花のブナの原生林は別途一日かける必要あり。記述に関しての段階を進めるために文献を選ぶ。
ほんの一週間ほどの姫女菀(ヒメジョオン)の成長が凄まじい。
Jumper(2008) / Doug Liman(1965~)
Free zone(2005) / Amos Gitai(1950~)
紹興酒を三本、グリーンピース二袋、生ブルーベリー2パック買い紹興酒1本空ける。
50mmf1.8IIから85mmf1.2に変えて撮影テスト。
末っ子の父親は母親と共稼ぎで田舎に赴任し長野県上水内郡小川村高府という場所に所帯を持った。大久保の小母ちゃんと呼んでいた近所の方に赤ん坊の世話を任せて若い両親は仕事に精を出したが、赤ん坊の私が五つになると、父親は田畑を潰した新開地百坪の土地を購入し安普請家を建てたが、赴任先は田舎のままで、母方の祖母に子どもの世話を頼んだ。父親はそれが心苦しく母親の稼ぎを諦めて家に入るよう頼み込んだ。淡い記憶の中で、寝しょんべんを垂れて目覚めると、玄関に母親が鞄を持って行ってきますとこちらに手を振っている。世話をしてくれた小母さんにこっぴどく叱られたが、幼心にもなぜ叱られるのか首を傾げる確信犯のような傾向がこちらにはあった。
二親とも兄弟が多い大家族の家に生まれ、末っ子と長女は家を出ることになったから、典型的な高度成長期の核家族としてゼロから家庭を構築したわけだが、そのせいで世代世帯が重複する家族の連なりに頓着せず、子どもたちに家を継いてほしいなどという感覚はないが、顔を出せば重宝だと使われる。神経質なお手伝いに育てられた後は祖母が面倒をみてくれたので、三つ子の魂は逃走感が育まれ、根無し草のフーテン気質は、こういう時妙にセンチメンタルだ。
この春の伯父の葬儀から、墓のことなどに腰を上げて老いを気にする両親の家に度々戻り、雨樋の修理に大枚かけた折もあり、母親の治療やこちらの置いたままだった荷を整理する必要も加わり、父親の肝いりで建築した入母屋造りが築30年経過し、傷み始めた家の細部の修復と掃除などにも手を出す事になり、さて私はこの先どうするのかと、これまた途方に暮れつつ夕食の支度をするのだった。