ひどい頭痛と鼻水を垂らして、火星移住が現代的な人間の生業の延長で組み立てられるKim Stanley Robinsonの構想を辿りつつ、結局人間の業へ転化せざるを得ないのは、せいぜい個人の紡ぐ物語であるからだと大袈裟な期待を諦めた。こうした想定を今でいうならば、例えば優秀な差異に満ちた頭脳ユニットの研鑽によって可能性の展開を連想し、実現に限りなく近寄せる新しい物語の試みとして商品化させ、我々はさらにそれを批判的に共有するモードを持つべきだと、個人作家の限界を感じながらも捲り、様々な個人作家の営みのあれこれも昨今、個の凄みに欠けつつあるのは、彼らの責任というよりも、時代の欲望が最早変質しているからだなと、最近繰り返す感想に戻った。
GSM 3Gとして中国のTD-SCDMAが認定され、世界標準から取り残されるこの国の携帯電話事業同様、企業の実質的な体質は保守的で、Shift-JISエンコードで問題無しとする世代には危機感がない。企業の目的が営業利益と言い切る時代は終わっている。これと似た意味合いで個人の表現も終わって然るべきなのかもしれない。無論、個の成熟がいつの間にかそうした個を超える場合もあることはあるけれども。
超国家ならぬ超企業が、砂漠を流れる水となり、その流れに沿った辺りにしか緑が繁茂しないと考える人間は今も多いが、問題は企業手法ではなくその源泉の質であり、クオリティーを巡る思想倫理が、現場である砂漠上ではなく、月面上、火星からの視線で語られることは、無意味ではないだろう。
過去・記憶・家族・愛などが一挙に連想される発狂を描くには好都合の火星移住という、ある意味絶望的な空間で知覚(見たい・聴きたい)するものはなにか?と考えはじめると、エコロジカルな響きもあり、反戦争、宗教対立も含まれる。
特殊な環境を打破するには、特殊な対応ではなく、普遍を投入せざるを得ないということ。絵描きは何を描くかではなく、絵を描くことがどのように作用するべきかを考えて、その能力の維持に対して超越的でなければいけないわけだ。ご苦労なことだが、仕方ない。
北京オリンピックと東京オリンピックを重ねると、そろそろ時期的に新たな言説の時代・作家の態度の刷新が一挙に訪れそうな気配がする。
2007年の音響の作品を整理。4月のQuartzのランダム暫定楽曲にタイトルを与え、1年を振り返りつつ聴く。
q05-a → Death (3:12)「死」April,2007.
q04-a → Beyond of sand (3:20)「砂の彼方」April,2007.
q03 → Quartz / ’The dear world’ (8:08) April,2007.
q02 → Anxiety (2:08) 「憂い」April,2007.
q01 → Visual Echo 2007 (0:51) April,2007.
I remember that time (3:35)「あの時」
bustle (5:56)「賑わい」
this town (6:31)「街」
The past said present (6:03)「今を語るのは」
amber (4:53)「琥珀」
statement (5:04)「態度」
regret (5:23)「悔い」
ethics (7:48)「倫理」
think about it (5:40)「ちょっと待て」
sign (6:01)「徴」