流れという人間精神の宇宙での実存(というより美意識)に行き当たり、数億年の太陽系の記憶の保守あるいは調査を蔑ろにして、植民地化を優先する決定の元、密かな画策も暗躍し、火星の緑化へと踏み切る部分まで再び辿りはじめた。なるほど現代の様々な事柄へのメタファーともとれるが、致命的な放射線から人間を守る為に、大気生成へと動きはじめる物語は、ドミノ倒しのような愚鈍と繊細の両極端を手元に集める文体で進むので、150ページほどで一度は疲労し放り投げたが、300ページを超えたあたりで、積み重ねた文脈が人間の行動の決定のリアリティーを裏付ける部分に頷くようになり、いっそ全て読み切ろうという意地もこちらに生まれたのが可笑しい。
古井の聡明な削り出しにむしろ堪えられなくなったので、無難へ戻ったという感覚。だが、これは移動の時のみ読むと決める。
メディアからの栄養を摂り過ぎても身体に悪いという直観に従い、再び歩き始めているが、無心に歩く事はなかなかむつかしい。狩人のような冴えない欲望の目つきが消えない。
プロダクトインターフェイス自体に見逃したことがあるという「お告げ」が、中国で三食、食事だけする日帰り旅行の夢の中であり、目覚めてから残り、こちらの日々のツールマニュアルを取り出して再び隅々迄目を通すと、そういうことかと得心することが確かにあった。Preston Reed, Eric Mongrainのlap-tappingもこれと同期しているので、彼らの演奏が夢を導いたのかと考えた。いずれにしろ、修練は必要。
職人が長い年月で選択決定する刃の傾き角度のようなものとも云えるが、その気づきが、夢の中のお告げからだったとは口に出して言えない年齢だよな。