拾い上げた破片をあれこれ並べて眺めると、縁の形が似ているので近寄せた。ぴったりと合うわけではなかった。若干の隙間があるが最初のままでは生まれないニュアンスが生じる。隙間にも興味がいった。破片をまとめてひとつのビジョンという短絡を避けるように、「・・・のようなもの」を並べる恣意の外で、窓からの陽射しとかスタンドの光とか煙草の煙とかが、破片の不足を説明するような気配となったりもした。縁の形に意味というより味わいが顕われた。夢中になるほどのことでもなかったが、ふ〜んと見えることをデジャビュのように繰り返した。
soul
デジタルデータを白黒にする眺めも、この反復に加わり、並びの一部となって頷くこともあった。
ビートが身体から離れていって、iPodの中身を入れ替え、繊細で秋には特に響いて届いた声もそのほとんどを削除し、そして耳からイヤフォンを取り外して歩く。
これまで私も何処をみつめて歩いていたのか、すれ違う人間の鼻筋へ真っすぐに視線を向けると、あからさまに困惑するような表情が向こうに生まれる。あるいは睨まれた。地下鉄で頁から目を上げ、車両に並ぶいろいろな視線の行方を辿ると、携帯を弄ぶ人を除き仕草のない人間のそれは、等しく何も見つめていない。俯き加減の瞼がやや下りた水の目は、疲弊しストレスに喘いでいるわけでもないようで、何も見ないと決めた時間の中で十分に潤っている。
いきなり顎を上げ、真っすぐな視線という慣れない姿勢に落ち着きがなかったので、目つきが物欲しそうに肩肘張ったのかもしれない。街歩きのこれまでの自分の大きな欠落に失笑する。
肩にカメラを掛けて歩くには、その歩行と同じか、それ以上の、手ぶらで無目的な歩みが必要。


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