インフルエンザにやられたかと一度は諦めたが、長い睡眠をとってなんとか身体の肉崩れを押さえ込んで持ち直したので、午前中、EOSをぶらさげて歩き回ってから、学校で講習があって時間の無い長女に頼まれて、次女と秋葉でiPod touchのケース探しをする。シリコンは手触りが嫌だと釘を刺されていたが、レザータイプはあまり色の種類がない。まあ、本人が気にいったモノをみつける迄保護のみの意味で使わせようと安いものを購入。次女がお下がりのiPod Nanoのイヤフォンが耳に合わない、耳かけ式も嫌だというので、panasonicはやめて、audio technica ATH-FC700 RD を本人が選ぶ。
Yodobashiの8Fにある、「これからの和風と無国籍料理・ザ・海峡」にて、やや遅いランチ。海の幸のリゾット、ムール貝が美味しいと次女は喜ぶ。夜は飲み屋系。
次女は英語リスニング学習用CD、試験でとても良い成績だった理科の問題集、プルートウ5巻購入。
長女のシューズをLADIES’ NIKEに絞り隅々迄ネットで探すが、WMNS FREE 5.0のめぼしいデザインのほとんどが売り切れ状態。どういうこと?もう少し探そうと、クリックを控える。
No Country For Old Menを観る前に、コーエン兄弟が史実を忠実に再現する手法を映画に導入した魁であるコトを確認する為と、映画への愛を再観、バーバー(2001)とファーゴ(1996)の廉価版DVDをクリック。(Hi8mmVideo録画の音は問題ないけれども、画質はさすがに耐えられないので)
ディアローグ / 平野啓一郎(12/5発売)を予約。レインボーシックス ベガスなど。
非常にのんびり読んでいるレッド・マース /Kim Stanley Robinsonの、成る程想定を現実的なレヴェルの蓄積で展開させる手法は、ある意味時代に対して率直であり(執筆1992)賢明なのかもしれない。死を覚悟した光から遠ざかるいわば闇への旅に向かう超越的な人間の集団というのはもっと違うのではないかと思いながら、火星に降り立った人類が住居を組み立て、水を求める部分まで進めたが、唐突に水の壁が顕われる部分で頁を捲る気分が萎えた。
月に再び立つ人間は、おそらく卵の殻を剥くような判り易い変容の、新しい肉体と精神で地球を眺める。
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
ダンテ「神曲」が繰り返しどこかで響くような作品ではある。つまり宇宙へ出ていくこととは、船で新世界を探求した思想を研磨した、死を生の内で越えていくパラドキシカルな手法、あるいは利己的な遺伝子の残酷な欲望といえる。