Spettatrice, La (2004)/Paolo Franchi(1969~)主演のBarbora Bobulova(born in Czechoslovakia )の突出した存在感にぐっさりとやられる。多様な表情を自然に顕す女優なり。シーン導入時など、カメラの職人芸を感じるショット多々あり。イタリアの版画刷り職人の味わい深さを想起させる。列車窓のショットが印象的。フランスとの国境を持つピエモンテ・トリノのクラブで身体を揺らすシーンは、ローマとの地域差異や女優の資質を併せ持つ濃い意味合いのとなって、微妙なキャスティングと共に後半になるほど効いてくる。tsurutaに現地での彼女の評判のほどを訊いてみようか。女優の同時通訳という役所も、ヴォイスと共に全編を流れる深層を煽る効果がある。
11:14(2003)/Greg Marcks(1976~)は、若い監督でありながら、自身で手掛けた脚本を巧妙につくりあげており、手法的にはイニャリトウだが、唐突・凡庸な出来事自体を、リアルに描くことができるという点で、パクリをどうのこうのいうより、The Gift (2008)が楽しみ。交錯のギミック化において若干断片を因果の環に統合しすぎという恣意の滲みのような苦い後味はある。作り込むには経験が必要だが、演出などに才能を感じる。
Silent Hill (2006)/Christophe Gans(1960~) : ゲームを踏襲した娯楽だが、脚本は丁寧に練られているので、割と楽しめる。制作構造が明快であり、音響も映像に迎合する事無く自立することを良しとする姿勢は面白い。演出は最低。
Hannibal Rising(2007)/Peter Webber(1968~)は、原作自体が映画化を前提としているので、説明的なシーンが多く、脚本の練りが足りない。Lady Murasaki(Li Gong1965~)の設定も原作の時点から甘い。この責任は監督ではなく、脚本も兼任した原作者のThomas Harrisにある。はずみをつけたかったろうGaspard Ulliel(1984~)が可哀相。
zodiac(2007)/David Fincher(1962~):期待していたが、構築手法はMunich (2005)/Steven Spielbergと似ており、時代設定に対しての異様な程の再現力が映像化されすぎていて、実際そうであったとしても、70年代当局やメディアの捜査能力の無能さのようなものばかり目立つ。史実と映画の差異を、明快に示してほしかった。犯行動機よりも時代のリアクションの描写が足りない。キャスティングは悪くないが、主役に沿った脚本をもっと切断して、断片に力を与える手法は残されている。カメラ・演出も中途半端。
TENORI-ON/YAMAHA : 9月にイギリスで発売されたと、ikedaに教えてもらう。日本未発売。イギリス価格は14万ほど。視覚と音が同期した楽器とみると演奏はそれなりに楽しそうだが、使い勝手はいかがなものか?
ikeda曰く
「使っている姿が棚卸し作業をしているみたい」
それって大切よね。開発に関わった岩井俊雄の文脈では何の矛盾もないが、なんとなくすぐに飽きがきそうな感じ。モデルチェンジを重ね、インターフェイスのドットを細分化して、映像入力のリミックス出力などできれば、機能的に広範囲をカバーできるツールに化けるかもしれない。いずれにしてもどういう種類の音を生成・収集が可能かにつきるので、にじり寄るような、あるいは絞り出すようなデリケートなアプローチの出来るインターフェイスに深めないと、人間的な反復には耐えることができないだろう。
PSPのソフトでこれって可能なんじゃないかしら? 通信で合奏できれば尚よろし。