とスウェットを買ってしまいました。先日海にいきましたが、海には初心者コースというものが無いので、習得には時間がかかりますねえ。
と嬉しそうなushiyamaから、サーフィンをはじめたと云う報告を聞き、予想していたがひどく羨ましい気持ちになる。
今回展示する海から出て来た異星人のような人間にカメラを向けた作品の全貌を見せに来てくれたのだが、直感的に人生を乗り切るにはフィジカルを真剣に考えないとダメだと、豪徳寺からボードを抱え、海に向かう山育ちのushiyamaの姿勢の方が印象的だった。平行してはじめている「家族の肖像」とも云えるシリーズの一端も見せて貰ったが、その場の瞬撮のジレンマで難航していると説明を受けながら、この両方が見えてこそ、ushiyamaらしいと感じた。
機能サンプルムービーをgarioが持参し、チェックし、ダメだしを行ってから、スケボーの新しい技を披露するushiyamaの滑りを眺めつつ、三人で歩いて焼き鳥トリトンに向かうが満員。仕方がないので、勝どきのルセットへ向かうと、全面工事中。近くの雑居ビル地下にあった居酒屋の暖簾をくぐる。
できれば、脚本に則った撮影を、したたてめているロケ下で、行おうと決めた。帰り道は小雨。
短い朝方の睡眠の中、家族で海帰りの駐車場の夢を見ていた。
まだ小さな娘は長女だけで、下の子は生まれていなかった。一日中陽射しにこんがり焼け火照った皮膚の家族で、荷物を提げ、坂を歩きながら車を探していた。疲れたという妻をおんぶすると、妻の背中に小さな娘が飛び乗り、重みで立ち上がる際ぐらっとしたが、歩き出すと重さは感じなかった。三段重ねの姿はオカシな格好なのだろう、通り過ぎる人が皆指を差して笑ったが、こういうことなんだ。こういうことでしかない。自分の背骨あたりの凍り付いた時間が溶けていくのを感じていた。瞼の間が濡れたように目覚めてから記憶を辿るが、同じ経験の記憶は無い。様々な意味が物語を捏造形成し、束の間の諭しを与えてくれたようだ。
ストーカー、サクリファイスから、C階段、ふたりのヴェロニカへと繋げた記憶映像の連結と現在の併置作業の中で、堰が切れたように記憶が溢れ出し、ふとした仕草にも過去が重なり当惑気味となって、なるほど最近は構想の底辺に、遺書のような性質が滲み始めているのかもしれないと、残暑の引き際に顕われる季節に教えられたようだった。


sign-g.jpg ACT NOW ! STOP ダルフール紛争 : 以前より関心があり、10月の企画展での映像機能サンプルでダルフール虐殺を扱う経緯があり、長女も最近学習を開始したので、関連コンテンツをあれこれ眺めていて見つけ、自分と娘達の分のTシャツを注文する。ブログリンクの了解を得たので、リンク追加。こうした姿勢には応援したくなる。
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