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Boinic Contacts, Bionic Eye by 2020

グローバルな情報と、良質な写真画像満載のクーリエ新年号付録の、Paul Auster(1947~)朗読CDは、前のワールドミュージックに続くなかなかの企画。緊張気味の小川洋子(1962~)は悪くないが、柴田元幸(1954~)の朗読には、古くさい国語の時間の朗読のような滑稽さが、その声自体に顕われていて、FMラジオなどのDJの力というものにあらためて気づかされた。自分で朗読して録音することを考えていたところだったので、いささか腰が引ける要因となる。発声主体というわけでないこの国の言葉のむつかしさがこうしたところに現れるわけだ。クーリエには朗読全文が掲載されており、翻訳の差異は勿論、朗読の時間と言葉の量との比較などできて良い。言葉を発声する「文章」というものに、遅まきながら取り組みはじめており、20年近く前の吉増剛造の朗読パフォーマンステープなどを取り出したところだったので、こちらにとってはタイミングが良いものとなった。仮にサイトデータが欧米のように自動読み出しになったことを考えると、その発声から聴こえてくる例えばブログなどのほとんどのテキストコンテンツは聞くに堪えないものになるに違いないと考えているので、聴く言葉というスタンスが必要となる。映画やドラマなどの俳優が発声する脚本の言葉というものは、そういう意味では、聴く事を前提として創出されたひどく圧縮された説明的な言葉であり、日常会話との落差が激しいのだが、享受の側はなかなかそれに気づかない。レストランでの採録をそのまま聴くと、取り留めが無く、むしろ何も聴こえてこない。言葉は、日常からの抽出だが、醸す現実感の構築というものは、第六感を使わねばならないわけだ。書いた言葉の連なりを、都度発音され耳に届くような環境で創出すると、言語自体がかなり変容する。

音声合成ソリューション AI
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おしゃべりテキスト
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ボイスソムリエ
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パソコンにしゃべらせてみましょう
音声 録音・再生 / Vector

こちらの親と同世代のgarioのおばあさまがお亡くなりになったと連絡がありお悔やみ申し上げた。詳細はよく聞かなかったが、長野の両親のことが頭に浮かび、年齢に応じたケアをする側について再び少々調べる。