午後の新幹線でオフィスに戻ると、金沢21世紀美術館・川村記念美術館監修「Gerhard Richter」(DVD付)と、「新家族」/富岡多恵子が届いていたので、メール確認後、リヒターカタログを画像だけ辿って捲り、確認すべきこと(Jean-Marc BustamanteとGerhard Richterの共通点)を行い、割と多く挿入されているテキストは後回しとした。今回の森の中での取材撮影のデータはiPodに入れてきたので、端末の壁紙に選んでふたつ置くと、眺めて初めて分かることがあり、リヒターでの確認と重ね、計画の構造詳細の手がかりとなったようだ。
富岡多恵子の短編の中から選んで「坂の上の闇」を読む。
ここ数日間映像物語の大量享受の後の言葉の受け取りはなんとも新鮮で、移動の際、捲る予定の「明暗」をバッグの中に入れたまま、窓の外を眺めていたせいもあり、一頁の所謂行間から得るものが多いように思えた。
撮影及び業務スケジュールの調整と平行して、読書スケジュールなどもメモするためカレンダーを眺め、雨に騙されていたなと、既に月末になりつつある時間の速度に呆れる。(image:Strontium,C print,2004/quotation)
自身の禁欲的な抑制へのバイアスに逆らわず、いっそ寄り添わせるかなどと。
新家族・帯(學藝書淋)より
生と性の神髄
普通の人びとが織りなす生と性の不可思議な独特の語りで描き出す九つの短編。
人間、この不器用な生きものたち
収録作品
新家族
末黒野
名前
多摩川
女道楽
はつむかし
遠い空
坂の上の闇
環の世界
A Closer Look At The iPhone:CBS/Youtube
坂の上の闇/富岡多恵子
過去の出来事を理知的に辿り映像化させるべきと常々思っていたが、この作品は、短編だけれども、試みれば、素晴らしく切れ味の良い、深みのある映像物語になるだろう。
自決した日時のズレと、事件の大袈裟な戯曲化などの紆余曲折を経た記録から、その事実のまやかしを削り取る手法で迫る作家の冷徹な眺めは、清々しい。一見、鬱屈した発作のような事件ではあるが、構想される背景には、大きな普遍が流れる。映像とする場合、娯楽へ流れずに、むしろ背景を控えめに顕す、あるいは、ニュアンスとして置くといった、歩み寄りの節度がなければ奇異な特殊の一過に果てる。
「環の世界」にしても、些細な時代に潜む気配を掬うような変哲の無い描写によって、闇が照らされる。そしてこちらが気づくのは、そうした闇の延長線上に、我々は立っているのだということだ。
青年の頃、この国の闇に隠された歴史を辿ることに夢中になった時期があり、探れば探る程、呆れながらぞっとしたものだ。然し、そのオゾマしい事実の多くは、単に選択された朴訥な決断によって引き起こされており、そうした貧しい選択肢の世界に生きた人間の、「不愉快」は、いまだに漂っているなと感じたものだ。未来ある青年にとっては他人事であったが、過去を振り返る年齢になって、あの時の忌まわしさは、カラダを巡る血の中に練り込まれていると頷くようになった。