出がけにTVから流れていた占いの「やり直しをしなければいけないでしょう」というテロップに素直に反応して、頷いていた。「まあいいか」という諦めを伴う妥協が生まれる限り仕事の質としては駄目というわけで、隙の無い配慮と知恵の機織りで得るゴール地点に辿り着くには、意気地というより、そういったイメージを持つ弁えがあるか無いかが、分かりやすく云えば素人と玄人の差となって顕われる。成る程若い人間が桂離宮で体感すべきことなどを引き寄せたが、「徹底した」そうした手法を殊更に誇大する「分かりやすい説明」は鼻につく。
夕方、東京駅迄バスに揺られながら、「明暗」の津田と小林の遣り取りを映像に置き換え、唇の動きと物言いの、現代からみればズレた口調を辿りつつ、この差異こそリアリティーだと対話に引きづられ、占いのことを頭の横で考えて、やり直すということは楽しみの範疇と考えられるが、それを導くビジョンの獲得は鍛錬だけでは手に入らない。すっと降りる明晰な直観と鉛筆に任せるしかないわと、ようやく占いの呪縛が解け楽観が降りた。
諸処の事情が重なり、二、三日程長野行きを早め、新幹線に乗った。大宮を過ぎたあたりで酷い睡魔が襲い、本と足首を放り出して座席を倒したが、瞼は閉じなかった。軽井沢は見事な濃霧だった。何度か車やバイクで白濁した水中のような峠を怖がると同時に何かウットリと空間に麻痺した運転を憶い出した。最近のあちこちを彷徨うような日々の疲労が、列車の移動のせいで腰から下に、重力と気圧の変化に反応したかして鈍く膨れたが、窓から眺められる景色の水分を含んで鮮明な色彩に気分は溌剌としてくる。
朝迄、持ち込んだ仕事を地味に続けて仕上げてから、淡い構想を確かめる為に雨の止んだ隙を見計らって歩いた。


04LM112_1.jpg予感が当たり、Martin Scorsese(1942~)のThe Departed(2006)は、脚本・撮影・演出など、ぬるくて怠い。DiCaprioをこれほど続けて撮るにはナッツな訳がありそうな感じ。Taxi Driver(1976)からのDe Niroの連作手法と同じだが、当時の切れ味は失せている。成熟した老練な凄みが何処かにあればよいのだが、見当たらず。隠居するか、若手クリエイターの育成すべし。
シリーズ(DVDx5)であったので、機会を逃していた、Band of Brothers(2001)4を観てみると、ノンフィクションノベルが下敷きになっているリアリティーがあり、脚本撮影に好感が持てる。ゆっくり全て観ようかなっと。garioがリコメンドしていたかもしれない。バンド・オブ・ブラザース コンプリート・ボックス
Dernier tunnel, Le (2004)/Eric Canuel(image)は大人の映画として納得。編集・俳優がよい。久々に充足する。映画の成熟を感じる。