漱石晩年の差異の時代の厭世諧謔の含みを棄てて、バブルという緩い空間の時代でのリノベーションでもあった「続明暗」は、オリジナルの物語と普遍性を引き受ける事よりも、理知的な作家の現在的な弁えの正当性を探る仕方で展開していおり、而も当初の構想の始まりに対する解答を明快に導く手法は、途中些か性差のバイアスに振られたけれども(男性というものが若干希薄)、成る程、物語に読む事を促され、諭しを超えて届く精神が幾度もあった。以前より漱石に感じていた切断の正当性を、更に加速させて辿り着いた、新しい「尋常」である状態に、また触れることができたというさっぱりとした感覚が「倫理」というニュアンスを伴って広がる。作家のオマージュとしての「憑依」性は、「人間的であること」へ繋げる描写の力によって特別気にならないが、津田自体の存在描写には、プラグマティックな漱石というコンテクストを重ねるからだろうか、一抹の浅薄が残る。こちらとしては、明快に顕われると同時に抗いようの無い深淵が、ひとつの「男」へ存在帰結する一行を強請りたい。それが、お延と清子の姿形が酷似しているという陳腐で落とすのでもなく、津田がさかしまの傾向を自覚する短絡でもなく、稚拙な青年孤高の我侭では勿論無い、生の旬なる罠を貪欲に正当化する時間と空間を顕さねばつまらない。おそらく漱石の胃潰瘍の悪化とリンクする津田の出血も、なぜか浅く拾ってしまうのは、類としての性(男・女)がふたつ明快になりすぎているからだろうか。鍵になるのは、第一次世界大戦の始まりと同期して、不安と野心を同居させる投槍な小林であるかもしれない。(柄谷行人が1990年より季刊思潮での連載を提供)
ー漱石という大作家がどう「明暗」を終えたかよりも、お延はどうなるのか、津田はどうなるのかを「明暗」の世界に浸ったまま読み進みたい読者ー小説の読者としてはもっとも当然の欲望にかられた読者である。小説を読むよいうことは現実が消え去り、自分も作家も消え去り、その小説がどういう言語でいつの時代に書かれたものかも忘れ、ひたすら眼の前の言葉が創り出す世界に生きることである。それを思えば、「人間」であることこそ小説を読む行為の基本的条件にほかならない。我々が我を忘れて漱石を読んでいる時は、漱石を読んでいるのも忘れている時であり、その時、漱石の言葉はもっとも生きている。文学に実体的な価値があるとすれば、それはこの読むという行為の中から毎回生まれるのである。漱石の価値というものも、そこでは毎回自明なものではなくなり新たに創り出される。文学の公平さというのもそこにある。ー「続明暗」水村美苗 あとがきより抜粋
夏目漱石(1867~1914)享年49歳。12月9日、胃潰瘍の悪化により、『明暗』執筆途中に死去。最期の言葉は「死ぬと困るから」であったという。
1914 : ヨーロッパ史では、第一次世界大戦が勃発したこのころより現代がはじまったとする見解もある。
7月28日 – 第一次大戦:オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次大戦が始まる。
8月23日 – 第一次大戦:大日本帝国がドイツに宣戦布告。
9月2日 – 第一次大戦:日本がドイツ租借地の山東省に上陸。
12月20日 – 東京駅開業。これに伴い東海道本線の始発駅が新橋駅から東京駅に変更。
-wikiより引用
週頭より、1991よりの6×6,6×7ポジの選別に取りかかり、「あの時の光景」へ惹きこまれ、時間を得ているのか喪失しているのかわからなくなる。今回の選別はかなり厳しいものとなり、1/3より数枚しか摘出できない。1991
まず分かり易く見えるようにしてから、視覚にコトを捉えた「以降」の顕われを、遅延の脳で考えなければ何も始まらないので、選別の合間に、衝動的な撮影とそこからの構想を差し挟むと、思考を構築する白い画布である、20インチディスプレイと、30インチ(29.7″ 対角表示可能サイズ)2,560×1,600ピクセル : ディスプレイとでは、思考のレヴェルが異なるのだと悟る。obuse town office
1993:6x6を2枚併置ユニットを選別。
成り行きに任せ「反文学論」柄谷行人をトイレにて捲り始める。何度読んだかわからないが、「なしくずしの死(上・下)」セリーヌを手にして、捲る気分を喪失。「溺レる」川上弘美ではどうかと試すがこれも今は駄目。気分と流れに任せて選び、便座を立つ際にそのままトイレに置いたままとする。
温暖化の特集だったので、何気なくNewtonを捲ると、そのあまりに酷い編集に開いた口が更に広がった。最近、クーリエ・ジャポンの編集と掲載写真のクオリティーの高さに関心していたので、この出鱈目には驚く。編集が酷いと、記事自体にも魅力が無くなる。
明日はフィルムの現像を出しに行くついでに、新橋から徒歩で汐留、竹芝、日の出と取材しようと思っていたが、大雨の予感。
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