出歩き人と交錯した日を過ごした騒々しさはまだ流れ落ちないが、世は連休の行楽の息災なのか、その余波など何も感じない森の中で、想像力の波が果てもないので、目が淋しく疲弊するまで机の仕事を続け、湯舟で眠りを誘いベッドの夢の向こうにある明後日を思でもなく浮かべた。
修理ばかりの頓着と片付けと洗濯やらもあり、萎えたままの食欲の失せた口元で柿の種をぽりぽりと音を出して、いっそ庭に出て試作するかと幾度か考えたが日が落ちた。何気なく立ち止まると走っていたのかそんなつもりもないのに、累積を振り返る首筋に寒気が起き、二階の押し入れには空箱ばかりが詰まっている無意味をなんとかしなければなどとつまらないことが気になるのだった。
善し悪しのわからない、経験もない、言葉も忘れたような顔つきを時折みせた父親の横顔が浮かび、尋ねようとしたことがあったが、それが何であったか忘れている自分に呆れて、父親の年齢を超える生というものに益々現実感が乏しくなる。
メキシコサラマンダーが死んだのは水を都度全て入れ替えていたからだよと次女から指摘され、そうだな確かにそうだったなと応えた。町迄下るサスケ道が工事で四ヶ月ほど通行止めになる前日の夜に駆け上がり、また大池回りか、否積雪であそこも駄目だと、このところとんと使っていないループ端ルートを走らなければいけないこの冬が少々恨めしい。いっそほとんどを北回りで済ませればよいけれども、実家の二階へと上り下りしている母親の冬支度の手伝いもあり、料理を待っているようでもあり、週に一度は顔を出しなさいと諭されて曖昧に頷いていた。高度成長の家々はほとんどが二課立てだが、老年の生活では危険であることを想定していなかったかの作りだから、二階など開かずの間になってもいいのに、夏物を片付ける母親は階段をのぼる。