xmascake.jpgネット注文したココアパウダーで丸く象られたアイスケーキを娘らが奇麗に上手に飾り、長女が携帯で撮影していた。
娘たちは勿論そうだが、甘いスイーツは別腹だわよと興奮する人は多いだろうが、こちらは、独りで暮らしはじめた学生の頃から欧州留学時迄、割と切迫した自炊生活が長かった影響か知らないが、率先して甘いものに涎を垂らすほうではない。喰わぬとダメだわと泣く事もなければ、甘さ不足で悩む事もなかった。
想い返すと、青年の頃、食事は、とりあえず空腹を凌ぐ程度であればよかったし、次の行動が可能になれば忘れてしまう程度のコトだと簡単に考えて、他の情動に意識を奪われていた。
勿論旨いものに欲望が尖り、成る程旨いものを喰わないと物事の善し悪しがわからないわと意識を奪われる時期は、青年期から中年期にはまったりと横たわり、夏には凶暴な海の恵みを求め海底に潜り、あるいはエスニックで異色な味を様々に試したりしたが、カラダの深い部分に刷り込まれた、幼気な在りし日の切り詰めた貧相な反復データには、今更逆らえないと思うことがある。
然し乍ら、〜すべきであると、よりよい形態(例えば食生活)を健全に自己同一化させるより、自己の由来に関する問題に立ち戻り、「ワタシは実はこうなのであった」と悟ってみても、閉じるだけのことで、つまらない。
詰まる所、目の前への選択と決定に、平常のレヴェルで、正しいか間違っているかという意識を添える人間性を維持するしかないということになるのだが。
家族は勿論、こちらの壊れたカラダを気遣ってくれる最近のアクセスは、本当にありがたい。もう大丈夫ですと快活に返答できない自身がなんとも不甲斐ないが、こんなこと嘘をついても仕方ないと、まだ痛いな〜と素直に返事を返すことにしている。こんな時だから、出来る事があるかもしれない。壊れを庇いつつ、ウサギのような怯える小動物になった気分で、こちらに出来る事と出来ない事を見極める静かな年末年始を送ることも、考えてみればこれまでなかった有意義な過ごし方のひとつとなるだろう。


放送時間中はあれこれ作業があったので、録画しておいた「クリスマスの約束」を、朝方になりヘッドフォンをしてボリュームを上げて観る。日々の生き方、姿勢が人間の質を、誇り高い成熟へと導く手本として、時には感涙に咽びながら朝を迎えた。
観客以上に、ゲストで共演した若いアーティストも、コンサート会場の恐ろしいPAのクオリティーに興奮したに違いない。一体彼らはどのくらい練習するのだろうか?
小田和正というアーティストは、自身の声と音響構築を真っすぐ繋げることに終始する人生を積み上げてきたのだなあとあらためて敬服。
新聞等とっていないし、TV番組欄などみたこともなく、普段は映画の録画しかしないが、ゲンタのブログの書き込みのおかげで、録画を忘れずに済んだ。ありがとさん。