1977からのJames P. Hoganの3部作(星を継ぐもの、ガニメデの優しい巨 人、巨人たちの星 )を読了。1991年に10年の時間を挟んで発表した3部作の続編として位置するENTOVERSE(内なる宇宙/上)を読み始める。
冒頭のエピローグ、
ー魔法やそれに類する不思議な事象を弄んでいる暇はない。仮にもし、私が魔法の世界を舞台に作品を書くとしたら、そこから大道具、小道具を取り払ってみれば、結局は、魔法の世界もまた宇宙を支配する物理法則と合理性に服して、魔法が魔法でなくなるような書き方をするだろう。その魔法世界は我々の知っている現実の中に存在するものでなくてはならない。理屈として我ながら上出来だが、では何を書くかとなると雲を掴むような話で、当時、私はどこから手を着けていいやらとんと目処も立たないありさまだった。
ー
現実を支える論理と理知の構造を揺るがせることはできないと宣言する作家の、周到な世界観は、ある深さ迄説得力のある構築力で貫かれているので読んでいて安心できる。恐ろしいのは、作家の永きにわたる構想の持続力と、蓄積と、それらを絶えず検証する意気地のようなものだ。おそらくその固有な本性とも云える作家自体の存在の力が、仮定(if)という形で現実に与えるのは、事象の飛躍的な差異の驚きだけではなくて、現実的な人間の対応のシミュレーションがいかに倫理的であるかということに尽きる。これは勿論、これ迄の規範の上での繰り返しではなく、熟慮更新される考え方の模範となってはじめて、意味を持つのだろう。3部作を読みながら、こちらとしては、絶えず底流に、憲法第9条が、白い舟のように深く浮かんでいた。
例えば、異系の文脈での正当性が立脚する根拠、動機を、据え置きで、そうのだから仕方ないと、短絡構築で手を抜く浅はかなものが放射される中、特異な正当性の理由を、現実世界において徹底的に説明する態度は、コンラート・ロレンツの眼差しを想起させ、時を経て尚更に異彩を放つ。
出張終了。本日これから、新幹線で続きを読みながら戻る。