SAPPORO冬物語りのCMを観ながら、80年代後半に離別した「この国」を再び憶いだした。あの時もこんなムードだった。
批判・批評という機能が、この国の言語では、差別的に優先して働くので(そういった言語のコンテクストがあるようだ)、なかなかひとつの思想として自立しにくいと、批評・批判する当事者が嘆くのも、実はオカシな話だ。批判・批評の落ち着くフィールドが、イコール、ヒエラルキーを想定(表象で幻想)された上で定着し、いずれにしろ上下からの視線と成り果て、立場を嘆くアイロニーに腐るといった構図は、バブルや不景気を経た今も変わらない。批判と云う毛皮を纏う発作に成り果てる。これは多分言語(主語の必要)の、基本構造が変わらない限り変わらない。
最近の情報のスピードが、偏った一方的な情報の提供となる「恐怖」を、否「我々」とか「私たち国民」といった死語で括られる度に、全ての本質的な根幹は、其処ではなく此処にあると叫びたくなるのは、狂いの証しという青さはまだ在るのがこれまたひとつの可笑しさだ。「大人」という振れた形而上学が喪失したせいなのかもしれない。
日々歩む見慣れた光景に魅入ることが、軸を揺らぐことになる真摯さとなり骨ともなって、突き詰めると裏返ってしまうどうしようもない自失を堪えるだけで死を抱き込んだかつての成熟(ブラックホール)も「広場」から失せて久しい。 健全とはよくいったものだ。ワタシならば、入れ墨を太もも辺りに「枯れ枝」にするのに。唾を小便と一緒にだらだら垂らしつつ、「枯れ枝」の幾つかを記憶から探り出そうとするこの青さは、十四、五の頃に降った反復と思い知っている。身動きが自在で無いことを嘆くココロも失せている。眉間に余分を寄せるしかない。笑ってばかりいる歳はとうに過ぎた。信仰も正義も倫理も愛もどこか遠い。死に際ばかりを乙女のように想っている。
とまあ、こんな風に酒を飲む夜もある。