学校の連日短期講習で数時間立ったまま教えているので、日頃の椅子での仕事とのギャップがあるせいか、足首に負担を感じてついに痛みが生じた。年齢的なものもあるのだろうが、弱い身体になったものだと、日々の生活改善を強く意識する。
気温の上昇と梅雨時の湿度の高さにぐったりするのは、むしろ健康な身体であった青年の頃だったかもしれない。そういった外的な要素よりも、この肉体自体の管理維持がむつかしいなと、食事に気をつけようかという気持ちも膨れた。
1990年代に重いカメラを担いで暇をみつけて歩き回ったあの時間を日々に再度挿入することにしたが、これも徐々に辛く感じるようになるだろう。
誰だったか失念したが、中年から老年にかけて意識や活動が萎え、膨れた厭世観で生命の活動を頓挫するように温存したことを悔いる老人の呟きを思い出す。狂ったまま走ればよかったという。
こちらは割と狂ったまま走っているつもりだが、その姿勢が、例えば座したままとか、偏ると弊害が出るわけだ。
仕事のクオリティーの必要で購入したcanon XLH1,Libec LS-22DVを背負って、できるだけオフィス界隈の朝を徘徊しよう。
長女にと購入した東野圭吾「殺人の門」を捲り、稚拙な文体だからこそむしろひきづられる。
「グーグルーgoogle既存のビジネスを破壊する」/佐々木 俊尚 を立ち読みしたが、Web進化論と大差なしと購入やめる。
Muramatsuに薦められたGreko Zemaitis GZ-2000PFのよさげな中古を発見。長女にエフェクターを探しにお茶の水に同行を依頼されたので、現物をたしかめてみようなどと。軽くて音が良いとのこと。