車の前を初めて熊が横切りその走りでなるほど熊だとみるべきものをようやく見た心地で駈け戻ってからこのところ慌ただしかった来客や制作で乱れた家の中を片付け埃を拭き洗濯を繰り返す。
植物を幾度も枯らしたことはありますよとゲンタと頷きながら納の母上から枯れた植物は悪いものを持っていってくれるという呟きを聴いて、思いがけないことを指摘された小さな驚きがふいに内省をともなって乱雑な記憶の狭い汚い部屋の枯れた鉢がパタパタフラッシュバックするのだった。見事に室内に育てられているペンションアンデルセンの広間で京都文の助茶屋のわらび餅をご馳走になりながら自分も植物を室内に置くようになりましたと話すと、銅器付きゼラチウムを分けていただくことになり、年齢相応の嗜好だと示唆も受け繰り返し頷いていた。
数日前に遠路訪れた井上夫妻からも、俵屋吉富のわらび餅を皆で頂いていた。ほんの少し食感が違う。この差異がいかにも京菓子ということか。
シャワーばかりだった風呂のバスタブの微温めの湯ににじっくり顎まで浸かって続きを捲りはじめた本の音 / 堀江敏幸が説明過剰な言葉の併置感となってこちらに流れるのは、ラジオのキャスターの喋りに堪えきれない「聴こえ」の位置がどこか意固地に張り付いた固有となったか。呆れるよりも今の自らに従う。過剰な捲りを閉じふたたびまたいくつかの詩編の余白の彼方に瞼を細くする。とこれもいわば余白の蓄えられた詩。
扱いのわからない室内の植物は異国というより異星の女のようでもある。ぜらちうむ