park blogは、以降こちらにて展開。モジュールが多くなったファイルをあれこれ再構築するのがシンドくなったため。これまでのものはアーカイブとして当面遺すけども、いずれデータを全く違うシステムインターフェイスに変換予定。
データベースの修理や再構築ばかりの日々に暗澹として、逆説のはしゃぎで憂さを晴らすのも馬鹿らしいと、夏の終わりからささやかな欲望を重ね、そのひとつの、ようやく届いたカスタムメイドのやや固めの心地よいソファーに身体を伸ばして投げ出し、意外に早く終わった仕事から戻ってそのまま、「聖なるものを訪ねて」古井由吉を腹に乗せ捲る。作家が作家と成る前の30代の頭に翻訳に淫していたと自らがその集中を語るヴェロニカに関する記述が、なぜかひどく流れ込んだ。文体を技巧として受け止めがちなこちらの日々を批判するような読み具合で、ざっくりと何か年齢的なものを同時に飲み込んだようだった。
ゆったりとしたソファーによって、散らかっていたデスク周りも朝方片付けたせいで、仕事の空間があっさり変貌し、へたれたソファに沈み込んで読む目つき自体がおおらかに力の抜けたものとなったからだろう。
夕食の後、家族でハウルの動く城を観る。声優が気にいらないなどと叫ぶ家族は楽しんでいたようだが、個人的にはこの監督の独我的な演出がやはり気にいらない。有能なチームでシーンや脚本を開発する姿勢が、監督にないので、趣味的な歪んだ決断をごり押しされている気分になる。こうした手法は古いなあと実感。なんだか、制作現場のトップダウン式な年寄りの怒鳴り声が聴こえてきそうだ。
深夜から朝にかけてone point oを眺めながら、ソファーで眠ってしまったので、夕方から記憶を辿って観る。スタティックなシーンは気持ちが動くものがあったが、映画としてはいかがなものか。色彩は、随分以前に観た「犯罪の記憶」?とかいうタイトルのヨーロッパ映画を憶いだした。雰囲気はいいのだが。