T2 manual / 2.1MB
Carl Zeiss C Sonnarの男っぷりの良さに溜息をついて感心していたせいもあり、400TXフィルムを入れ寝かせたままだった、Contax T2 (1990年 : ¥120000 )を取り出し、見事なチタンのコンパクトプロダクトを懐かしく手の中で遊ばせて、Carl Zeiss Sonnar T* f2.8/38mm 4群5枚 (f2.8~16)の、これもゾナーじゃんと気持ちのよい描写を憶い出した。これなら歩行の中で、デジタルとの併撮はそれほど難しくないと、少々絞り気味でプロビア400x(あるいは400TX)にてフィルムをここから再び常用。
Mamiya 7と、Nikon FM3Aにもフィルムが入っているが、ふっと歩き回るには、デジタルと一緒にという気持ちにはなかなかなれない。単独ではその使用がやや特異な感触になる。デジイチレフと一緒に使う感覚がこちらになかなか育まれないのは、単にプロダクトの大きさ、重さが弊害というわけだ。
デジタルRF使用で、成程気楽な携帯性は撮影恣意の抑制にもなり、一眼レフでの即座に事後把握するその場で果てた感覚よりも、20年来つき合ってきた「今のは映ったかしら」という、事後確認遅延のなんともいいようのない焦れ(ズレ)、あるいは時間差異、獲得光景のイメージ差異から得る探求欲にも、甘く揺り戻されていた。
つまりフィルム衰退の要因となった、デジタルの獲得イメージ(現像)への視認速度という利便性に慣れ、同時になにかが萎えた。RFもフィルムも、はじまりに連れ戻す力が、こちらにはある。ゲンタがぼやいていたGRXのファインダーレス(携帯カメラのように最近のコンパクト系は液晶モニターで大雑把に光景を確認するだけ)のモドカシさにも、どこかなにかが似ている。アンチプログレスとして失うべきでない事を、性急な開発はとりこぼしている。それはおそらくアンティークフォーマットでしか取り戻せない。
でもこれは、絵描きが行う版画のようなものだろうと、辿りの手法を重ねずに別物と扱うことで、疲弊気味のデジタル一眼レフが相乗的に別の意味と意欲を持つだろうし、衰退のフィルムに新しい意味を与え直すことにもなる。出力の行方が多様化することも、硬化しがちな更年期の脳みそには良い。
フィルムさよならとペンタ67と一緒に手放してしまった、T2よりもコンパクトで素晴らしい描写性能のMINOLTA TC-1 (1996年 : 148,000円 : G-ROKKOR f3.5/28mm 5群5枚 非球面レンズ2枚3面 オール光学ガラスレンズ)が今となってひどく惜しい。デジイチを肩にぶら下げた時ポケットにはベストマッチする。中古でもいいいから取り戻そうかしら。ま、焦らずにT2でのフィルムを重ねてから。
店頭でPentax K5に触ると、大きさと連写速度には驚かされたが、Nikon DX系や、他のAPS-C系デジイチレフと同じで、使ってみたいという気持ちは、これイラネとあっさり消えた。
レンズガードを使わないELMARIT-M 2.8/28mmのかぶせるだけの標準レンズキャップをどうも落としてしまいそうなので、フォクトレンダーの39mmレンズキャップを購入。¥800也。
店で尋ねると、やはり価格的にでしょうがという前置きでM9よりもM8ユーザーが多いとのこと。
買物かごに入れたままだったZoom H1の現物を店頭で触るが、廉価で性能は悪くないようだが、プロダクトがプラモデル風で、物欲が萎えた。学生とかが気楽に使うにはいいかもしれない。Sony リニアPCMレコーダーの PCM-D1は勿論、PCM-D-50のプロダクトはずっしりとしてよろしい。相性はAT9943がよろしいとのこと。(メモとして)
暫定進路決定した学校帰りのハルボウと、すべてのリーグ戦が終わり、就活用に髪の毛を少々暗めにしたリナと海鮮庄やにて夕飯を喰うと、店主からサワーを頼んだリナに年齢確認を促され、まだ若いってことねと一度は喜んだが、お前まだギリじゃんと突っ込む。
T2に残っていたフィルムを撮り尽くし取り出して、現像くらいは自分でやろうかと、新アサヒカメラ講座4の白黒フィルム現像を読む。