母親の大腸ポリープ切除手術後、三週間もかかる摘出した細胞の検査結果から、腺腫があるとわかり、癌ではないが、再び検査が必要となった。これはこれで、定期的な診察を受けることによって、むしろ他の不調を堪えるような、意味の無い我慢から解放されると、息子も娘もよきことと捉えた。電話の声には明るさがあった。こちらとしては、初夏より幾度か足のむくみと疲れを訴える母親が気になっており、そちらのほうの専門医に看てもらうべきではないかと加えると、腎臓は大丈夫だってという答えが返った。
この猛暑の夏の最中、亡くなった長兄の妻、つまり義姉の後見人をつとめる父親が、幾度も伯母の帯状疱疹の看病に通い、挙句感染したようで、その症状を暫く、ヤブ蚊に刺されたと嘯いていたらしい。父親は疫学的知見を隈無く調べる輩は臆病者だというような古い気質にも感染されたままなので、無頓着に手袋もせずに伯母の包帯を取り替えていた。言うことを聞かない子どもに困り果てるような口振りで母親が一気に説明してくれた。この水痘・帯状疱疹ウイルスには、以前母親が罹り、完治に一ヶ月かかった。女性は顔面から首に発疹がひろがり特に辛い。
高齢者にはまた、疱疹後神経痛、帯状疱疹後神経痛という形で神経痛が強く残ることがあり、治癒が長びくこともある。いっそこの際、この病気を理由に、知らぬうちに肉体を酷使している些末な用事を断ることができると、電話口で伝えたが、無邪気に笑って子どもたちには変わらない元気を装うような両親の、季節の影響なども確認しなくてはと、予定はしていたが、再度帰省するスケジュールの調整と荷造りをはじめた。
最近は幾度も行ったり来たりする息子を、多少は頼りにしてくれているようなので、こちらも動くべく動くだけ。こういった自発とは言い切れない「促し」のオリジンを、荷造りの途中手をとめて書中に探り、urgeでは、性急な意味合いになってしまうが、迷いを含まない促しと考えようとこれを新たな括りとし、整理し終えた机の端末を立ち上げ、1994年のナガランド、首狩族の末裔の男たちの歌をアプリケーションに放り入れ、切り刻んだ。この島国へ辿り着いた遺伝子の流れ途上に置かれたような、まだ幼い男の子の、大人たちの振る舞いをみつめる目許が、興福寺の阿修羅。