CPU処理が50パーセント向上したIntel Core i5、Core i7プロセッサでないと、motion4も、aperture3も、機嫌はよろしくないだろうが、インターフェイスメソドが洗練していない現行では、作業速度は勿論、メソド自体が腑に落ちていない。ライブラリーやプラグインを求めるというより使わないので基本性能のグレードアップが必要。
どちらを先にという天秤にかけて、まずアプリからとなるのは、現況の優先に従いつつ環境的にも仕方ない。とはいえ、昨今の技術開発の速度と、所得向上係数は比例しないので(むしろ反比例の気配濃厚なり)、こうしたズレに負けずに食らいつくのは、最早自虐的趣味的といえるので、個人的には自重気味だが、自重の椅子の元でも、頭上の暗雲のように、抑制に健やかな納得が晴れわたることはないのが辛い。
欲望の形が細分化した分、デリケートな対応をアプリモジュールが果たすようになるという指向性は、元来のパーソナルコンピューティングの、なんでもできるという骨格を奇形化し、そんなことにわざわざこんなことをというパラドクスで、機能閉塞を生じる可能性があり、目的至上主義的な固有環境を、固有な端末に割り当てるという退行が行われているのに、なかなかこれに気づかない。
純生の基本に足を踏ん張ってと粋がれば、尚のことこうした罠に囚われるのが憎らしい。
と、ここで、そういえば最近「生演奏」、「ライブ」を聴いていない、目撃していない。何が純生かと大いに反省する。