人里離れた標高千二百メートルの大雨で崩壊した路肩工事を行う男たちと挨拶を交わした駐車場から40分ほどの車両侵入禁止の道を歩きブナの原生の森へ入った。
戸隠宝光社から上楠川へ下り36号線を少し登ったところで林道に入り、龍虎洞門を抜けた先はこれも工事中で通り抜けできなかったが脇から徒歩で鬼女紅葉の岩屋の前へ初めて立っていた。人はあまり来ていませんね。イケダが足下の潰れていない草をみて呟いた。岩屋はなるほど伝説を頷かせる霊気漂う場所で来てよかったと皆で場所を納得したのだった。
品沢高原など来たことも聞いたこともないという二人と36号線に戻ってから見てみようと右折したが、戸隠連山の西脇を危うく一夜山へ繋ぐ道に迷い込み、結局Uターンして、廃棄されているような別荘の立ち並ぶ林を指差し、この辺りなのかもしれないと、また再び36号線に戻り、大望峠で一服する。
鬼無里へ一気に下り、ふるさと館という看板に従って山道を登ると閉鎖されており町へ下り直してから、たんぽぽという食堂で昼飯を摂る。自治体統合され長野市博物館別館となったふるさと資料館にて展示物の説明を長々受けながら、鬼無里の歴史の学習を行いつつ、糸魚川からの交易の入り口であったと気づいたこの地の時間文脈の理を知る。
鬼女紅葉の墓もある松厳寺の内外を歩き、鬼無里神社からオサメが垂涎する鬼無里バス営業所をこちらも誘われて撮影し、「町」を歩いてから白馬方面に進んで、奥裾花自然園への道を越えた白馬まで18キロほどの場所にある鬼無里の湯に辿り着き湯に入り夕食とし翌朝原生林のロケハンの為三人で宿泊する。
鬼女が夢に出たイケダと魘されたオサメと朝食を摂る前に、こちらはひとりで朝の露天に入った。硫黄鉱泉がかなり身体に効くのだった。
奥裾花ダムの先は以前来た時と道が大きく変わっており、行きと帰りが川の左右に振られている。木曽殿アブキへの道は修復中で、行くことはできなかった。
昼過ぎに散会し、齢90になる伯母の通院予約日だったので、父親が入院している同じ長野中央病院へ車にて乗せて行き、見舞いたいという酸素吸入の管をつけた伯母の車椅子を押してを父親の病室へいく。重複する病人を抱えるこちらを覚えたような看護士や医師が労いの言葉を投げてくれた。伯母を送り届けてから病院に戻り仕事帰りの妹が最近は連日、終日つききりの母親を連れて戻るからと云ったけれども、夕食をこしらえる意気地の喪失した母親をこちらが車に乗せて大戸屋にてふたりで夕食を摂り家に降ろしてから、飯綱に戻る。
早々にベッドに横になると、山奥で工事をする男たちの寡黙な姿が浮かび、あれが仕事をする男だと思うのだった。