日中雲が流れて陽射しが届けば冷えた皮膚は暖まる。なるほど冬至は過ぎた。雪の中走り回る子供たちを追いかけて、こちらは汗を流すほどではなかったが、短い滞在でも零下の土地にすぐ慣れるものだ。
すり減ったスタットレスを横滑りさせ二日山間の村の分校まで辿る道を変えて、豊穣な黒い土を覆い隠して一時労るような雪国の光景の中、車を走らせた。
電車で街に出た折に駅前を物色して歩き、駅前大手書店の棚の配置を覚えるような勢いでくまなく巡り目を走らせていた。文庫二冊をポケットに入れて西側の山陰に薄明るさを残し一気に闇の中を下るようなこの街の夜に出るとまた雪が降り出していた。この暗さには独特な懐かしさがあるが、遠い街の感触も残る。初めて入る店には勿論馴染みがないが、ずれたような違和感は、すでに店のオーナーたちの世代がひとまわりもふたまわりも若返っていて、そうか青年の頃は客と店主の世代が逆であったからだ。街自体の変化というよりも、すべてこちらの時間の経過が落とす心地というわけだ。
数日は少々机にて終日静かに仕事なり。
砂漠のゲシュペンスト (上・下) / Frank Schätzing (1957~)
Any Video Converter Pro License / ¥6000
竹中家お墨付きという、近所の「梨園」(香港料理店)を、仕事帰りにゲンタと試し、なるほど優しい味はよろしい。翌日の夜早速両親を連れて夕食を、此処はいかがですかとごちそうする。灯台下暗し。グルメの妹は知っていて常連とのこと。店の移転があるそうだと聞く。然し、ガツンとした味好みの父親は、この優しい味が気に入らぬらしい。時代が刻印した入れ墨のような味の記憶が舌に根を張っているのだろう。それもよし。
Die Dunkle Seite / Frank Schätzingの翻訳(北川和代)に呆れ返る。日本語できない人間が翻訳業などするものではない。
携帯外付けHDが動画編集でキャパを超えたので、新規購入。170GBのデータの移動に18時間。業務をラップトップ上で重複させざるを得ないので、大いに弱る。
が、3日かかりきりでほぼ終える。明日は休もう。