父親の車のスタットレス履き替えを頼まれ、オートバックスで最近の車のナビパーツなどをしげしげと眺め、食材の買い出しなどして、翌日には東京に戻る準備を考えて夕食を作り始めていた。二日食欲がないから寝ている二階の寝室から下りてこない母親の様子を見にった父親が、おい母さんの体温41度ある。と言うので驚き、地デジデジタル情報から夜間緊急医を探すと、長野中央病院だったので、新型インフルエンザかもしれないと電話で尋ねると、41度は高すぎますね、すぐ連れてきてくださいと若い男の声で指示された。
翌日東京に戻るのは、新幹線の回数券の期限の日でもあったからだが、丁度、姪の大学合格に合わせて、母親である妹が住まいを探しに行く日であったので、切符を使うようにと渡し、数日滞在を延ばして様子をみることにした。
老齢の両親は、近隣の寄り合いや、亡き伯父の妻である伯母の後見人をあずかってその世話もあり、性格的になにかと頼まれれば断らないので、日々その年齢不相応に忙しなく、特に師走となって、疲れが時に重なるらしい。愚息が帰省して、食事の世話など始めると、その分の安心が緊張を解いて余計に疲労を降らせたのかもしれない。ラップトップで片付ける仕事はどこでもできるので愚息も腰を据えた。雨の日が続いていたので、少し晴れた週末に、13日間放射線治療をし終えたばかりの叔父の見舞いに出かけると、いつもと変わらない元気そうな顔をしており、一時服用した抗癌剤の副作用が腎臓に顕われたので服用を停止しているから、ちょっと調子が戻った、毎晩少々の酒はかかさない。という冗談と共に聞き、憂いを小さな安堵に変えた。翌週の月曜日に診察があると聞いた。
不安を抱える老齢の両親の生活は、大事に無理を抑制するのでいまのところ息災だが、物事の進行惰性に引き寄せられると、自らの年齢を忘れ、こんなことできるさと重いモノを持ち上げたり、歩きすぎたりと、途端に局面が生まれる。こちらはやりたいように好きにすればいいという放任スタンスのまま、せいぜいできるかぎり注視を続けることにする。
札幌の叔父の長女、つまり従姉妹がようやく妊娠した。十年近く待って、初孫ができたと叔父から姉である母親に嬉しい報告があった二日後に、こちらも函館での仕事の連絡があり、偶然ではあるが、叔父の家へおめでとうと一言顔をだせる。季節柄相当に寒いだろうなと覚悟しながら、函館や札幌を歩く自身をすでに浮かべている。