春宵を
    知らず生涯
    農に生く

愛知の人の句が聞こえた。

    春の宵
    砂鉄は青く
    立ち上がり

横浜の人の句が続いた。

春の休日と決めた朝はやくに目覚め、朝崎郁恵 (1935~) の島唄を幾度か繰り返して聴く。
まだ眠りの淵にいて、兎みたいな小娘に恋をした風な流れの後、男たちが大勢公園で奇声をあげて股間を振り回し立ち小便をしている奇妙な夢の残滓へ首を傾げて戻りたくもなった。ラジオ体操のピアノ伴奏が、それだけ実に透き通って聴こえた。朝の小便が折角の恋をと口元で笑いつつトイレで溜まったものを放ってから、短歌、俳句と、写真の眺めの仕方でこれを聴いていた。どれも人間的な感情の転がりであるな。季節もどうやら、放つばかりの時であるから、神妙に受け止めるのは後回しにしましょう。珈琲を口に含んでから、十一という忌まわしい文脈が絡んだ啓示は、つまりはじまりが壊れていることを示している。と季節から弾き返されるだろう浮かんだ考えを、にがみと一緒に腹に流す。

Martin D28 / sound
赤の他人の瓜二つ / 磯崎 憲一郎 (1965~) book
終の住処 / 磯崎 憲一郎 (1965~) book