青年の頃、八王子椚田の林の中では、土地開発に伴う遺跡発掘調査が頻繁に行われていて、その界隈を関心を持って歩き回りながら、雑木林の中に座り込んで枝や石ころを並べて撮影をしていた。四十年過ぎて同じことをするとは青年は考えもしなかった。こちらとは全く関係のない「自然」の状況へと、ささやかな関与を行うことは、あの頃も今も、私と自然の関係を取り持つわけではない。自然と人間の中間にぼんやり「意識」を浮かばせるだけであって、この「意識」とは私に属するものではない。徹底した間伐とかダム建設の陵辱的な介入ではこの曖昧で個人的に感得する「意識」は立ち上がらない。ほんの少しズラしたり、置いたりする程度のことでこそ、気象のように気まぐれに顕われる。
筆と木炭を持って平面に素描などしている時に、野に放つべく「意識」のロケハンをどうするかなどと思いを巡らせることがあり、浮かんだものが消えぬうちにとよこしまを払うことなく外に出て行うに任せる。そしてこの「意識」によって、再び座り込み手にした筆と木炭に異なったものが付与される時がある。同じような横滑りで、素描と工作(立体構想)を互い違いに行うのは、一義的にはそれぞれの振る舞いに、乾燥を待つという素材定着の「遅延」があるからで、行為を中断せざるを得ない事情となる。余白のような「待つ時間」の交錯によって、目的化されそうになる建設的な方向性が上手に阻害され、時には計画のようなものが台無しになり、それを私はむしろ愛しく抱きしめるわけだ。静止画像の撮影と現像(認識)は、こうした移動の記録として、それぞれの振る舞いの隙間に併置される。
倒れた樹木に工作物をのせて撮影をしていると、唐突に、昔、素描を教えていた男を憶いだした。彼はプロダクト系のクリエイターから、認知科学へ関心の枝を伸ばして、現在は多分、大学の認知科学の土俵で、門外漢の輩に「素描」を「認識の投影」として教えながら、「そろばん」のような、唯物論的ア・ポステリオリ(経験的直観)の研究をしている筈だが、詳細は知らない。ただ彼の示す、人間の意思よりも先に「道具の出現」がまずあったとする、現代社会の思考パラダイムであるジョブス&ゲイツフォーマットから逸脱したいと欲するかの、認知科学的な立ち位置には、私の行なっている横滑りと似ている部分がある。砂粒のように時間に降り注ぐ私の瑣末な遅延によってもたらされる意思決定の連鎖は、だからつまり先の見えない出鱈目な数珠とも言えるが、この砂粒の嵩が増大する老年期においては、この重さが私自体であると弁えるしかない。
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