憑依の理知

虞美人草の藤尾を殺す漱石という「清潔」に向けて、漱石の憑依者である水村美苗が、つくづく言及するくだりを肌寒くなった夜毎ベッドで辿っていた。漱石のレトリックが今でも充分に機能することよりも、漱石の目付で藤尾を言説化する水村の文学が百年の時間を充溢して流れることに気づき、時間経過の時空差異、場所の差異もが、普遍(留学したことのある者ならば一致する体感)と同様、むしろ明瞭になるのは、水村の漱石を二乗するレトリック(日本語という特異なスタンス)であると得心する。
水村の「男と男」、「男と女」という、わかりやすい対峙と闘争の舞台説明に、最近自らに個人的に広がった「清潔」という名の個が結ばれて、然し、虞美人草の後、漱石は「男と女」の舞台へとどっぷり浸り込んでいくその促しのようなものに、「清潔」の脆弱が現わされたような後ろめたさが浮かんだ。
こんな時は必ず「君は真面目すぎるかな」という声が、また聞こえる。学生の頃、決して真面目ではなかった、下半身を曝して裸踊りをする若造だった私の、取り組み全般に対する、敬愛する指導者の筋を見通されたような一言が、また聞こえる。

「近代小説」にもっとも近いといわれる「明暗」において、漱石ははじめて「男と女」の世界のなかでの裏切の物語を書いた。その「明暗」を執筆中の漱石が、午前中には原稿を書き上げ、午後になると漢詩をつくっていたというのはよく知られた逸話であり、漢文学と英文学の緊張関係が漱石の死ぬまで続いたことの証しとして挙げられるものである。しかし、漱石はこの最後の小説の主人公の津田をすでに漢籍を読むことのできない男として設定した。漱石は、何か取り返しのつかないものを裏切ってしまったという彼自身の喪失感が、次の年代の人間には不可解のものとなることを知っていたのである。

「男と男」と「男と女」ー藤尾の死 / 日本語で書くということ / 水村美苗 より抜粋
 面白いもので、平行してトイレに座って捲っていた吉増剛造の詩が、大陸へ放たれて曲がって弓形へ戻り届いた漢詩のような響きを持った。これも併置のなせる妙。