どうしようもない、あるいは暴投の1つ

 どうにも仕方が無い。とお手上げ状況に遭遇することは少なくない。むしろ増え続けるている。先人たちはそこを諦めずに果敢に進めと簡単に言い残す。その苦境を耐えて乗り越えろとも言う。死にそうなペットの寿命を然し、技術ある医者とてどうすることもできないし、怪我をする前に時間を戻す事もできない。この人には何をいっても伝わらないと妻は台所で溜息をつき、風呂の中で夫はあいつは馬鹿だと湯槽に頭を漬ける。とうとう途方に暮れる。そんな光景が累々と今この時にひどく似た仕草で、都市の中、田園の中、森林の中で繰り返されている。
 某かを諦めるコツは掴む。ふと棄てるように忘れることも覚える。それが生きる技術とも言われる。無闇に全霊直球で全身を駆り立てるような生を誇らしく内外に示し、また思うような時代でもない。ただまあ、なんとなく、さらりと生きたい。と屈託なく話す老人も、若年も増えた。
 中年から老境へ入りかけた風情の、定年したばかりで身体を持て余しているようでもある、ご近所の馴染みなのだろうか、二人の男が公園でグローブをしてキャッチボールをしている。相手が息子か孫であるなら見慣れた取り合わせだが、珍しい光景としてしばらく眺めていた。下町の工場の並ぶ昼時の路地でみた風景だが、まだ若い工員がパンパンといい音をさせて速度のある球を受け取り、中年の男たちは見守っていた。このふたりは、その記憶とずれた奇異なニュアンスがあった。どうやら、片方の男は、野球の経験があまりないらしく暴投を繰り返す。投球のフォームからして、身に染み渡らせたもうひとりは、もしかするとキャッチボールを誘った側かもしれない。いいんだ。という声を出し、逸れた球を都度取りに行く。もっと近寄ろうかと距離を詰め、柔らかい球を返す。相手が力まずに投げられる加減を調整する。面白いのは、暴投を投げる男が、自身の失投を詫びることもせずに笑いながら、今度は届くかもよと、無慈悲な言葉をかけながら、投球の力を緩めずに思い切り投げるのをやめない。いつか剣呑なムードになるぞと眺めを惹きつけられ見ていると、全く同じペースで暴投が続き、男は拾いに歩いた。
 あれでいい。暴投の正当性、あるいはその持続精神の擁護を考えていた。こちらの長年抱え込んだ態度が、そもそも暴投であるからだと、帰り道失笑した。相手に上手に届く技術よりも、投げるリアリティーがなければ意味がない。またあの公園で、あのふたりに会えるだろうか。ついには逆鱗に振れ、球を拾う男は、暴投の男を殴る決意をするだろうか。それより先に、あれでは暴投の肩が痛むだろう。続かない姿勢だ。と自省のオチをつけた。
ぼう‐とう【暴投】
〘名〙スル
1野球で、投手が捕手のとれない球を投げること。ワイルドピッチ。
2野球で、野手が捕球できない球を投げること。悪送球。