柳田国男のコギト


 スピノザは、コギト・エルゴ・スムは三段論法なのではなく、「私は思いつつ、ある」という意味だと主張した(「デカルトの哲学原理」岩波文庫)、これはデカルトの批判というよりも擁護である。スピノザ的な言い方でいえば、デカルトの「われ疑う、ゆえにわれあり」とは、「われは疑いつつ、あり」ということだ。したがって、デカルトがコギトと呼ぶものは、自己意識あるいは主観のようなものではない。むしろ後者の自明性を「疑いつつある」ことこそが、デカルト的なのである。
(中略) そして、彼がこれをフランス語で書いたことによって、フランス語は哲学を論じられるような言語になった、といえるだろう。実際、これは哲学だけでなく、その後のフランス語に大きな影響を与えた。そのおかげで、フランス語の文章が「明晰かつ判明」を指標とするようになった。ともいわれている。
 では、彼がこれをフランス語で書き、最後にラテン語に戻ったのはなぜなのか。それは論考を学術的に見せるためだとは思えない。近年になって、私はこう考えるようになった。デカルトは、フランス語でje(われ)として顕在しているものを、ラテン語にすることによって打ち消そうとしたのではないか、と。
 フランス語はラテン語から派生したロマンス語の中に数えられているけれども、ゲルマン語に近いところが少なくない。例えば、一人称の主格はラテン語ではego,スペイン語ではyo,イタリア語ではioであるが、一般に省略される。動詞の語尾から人称や単数・複数がわかるからだ。ところが、フランス語では、ドイツ語や英語と同様に人称が明示される。
 デカルトが主観(思惟主体)をもってきたのは、フランス語でJe pense,donc je suisと考えたからである。それをラテン語でいうと、jeは動詞の語尾変化の中に隠れてしまう。このことは、イタリア語やスペイン語でも同様である。だから、主観(思惟主体)の存在を強調しようとすると、フランス語でなければならない。であれば、彼が最後に、その部分だけをラテン語にしたのはなぜか。当初私は、これは論考を学術的に見せるための気取りではないのか、と思った。が、哲学の勉強をするうちに、そうではないということに気づいた。
 デカルトがいう主観(主体)は、われ(自己)とは別であり、一人称で指示されるようなものではない。ところが、フランス語でいうと、あたかも主観が経験的に存在するかのような誤解が生じる。経験的な自己と同一視されるといってもよい。のちに、カントはデカルトが見出した主観を、そのような経験的な自己と区別して「超越論的な主観」と呼んだ。これは一人称で指示されるような自己とは異なるものだ。だから、ラテン語のように、それが動詞の語尾変化の中に潜んでいるほうが、誤解が生じにくいのである。
 とはいえ、いずれの言語が彼のような省察をもたらしたのかと問うのは愚かしい。デカルトのコギトは、むしろフランス語とラテン語の「間」の視差(パララックス)から生じたというべきだろう。「われ疑う」とは、複数のシステムの「間」にあることにほかならない。実は、私が以上のような事柄を想起したのは、柳田国男の「毎日の言葉」を読んだときである。彼は、「知らないわ」というような文末の「わ」は一人称人称代名詞だという。

「柳田国男のコギト / 第二部 山人から見る世界史 / 世界史の実験 / 柄谷行人 著より抜粋」

 読みつつ平面作品折衝の局面が符号する。