小摘為情親

 盛夏の未だ下らない時期と、夏の終わりの低気圧に圧倒されて開けた初秋に、それぞれ客が訪れ、夜中彼らが寝入った頃、頻りに杜甫や李白の詩を朧に浮かべて寝そべっていた。
 気づけば近隣のごく近しい友人も二度程顔を出したくらいで、真冬から半年以上、手元を照らすような過ごしをしていたので、展覧会の準備や企画展の観覧目的があったにせよ、久しぶりに一晩中ああでもないこうでもないと会話をすることが、実に身に染み渡った。
 これに託つけて、移動からの游動。指摘されて認識を改めた「不完全」は未来に依存していること。「今」を生きる世代的価値とそのキャピタリズム。現在を健やかに生きる為のあれこれの認識補強が、つまり会話によって促された。
 学生の時分から、単独でひっそり生きることより、グループ展などといった形で、少人数の企画を考え、そのトータルなボリュームの意識体のような構造の、ドメスティックでもあるコミュニティー的な照応に関心があり、結局五十を過ぎて同じことをしている。
 公募や企画に於いても、普段距離のある生活をしている者の、過去それぞれが蓄えた事象記憶の近似値によって、会話が幾つもの契機を生成させて交錯することは、実に「愉しい」ということに尽きる。
 
 再び俯いて指先をみつめる季節を迎えるだろうが、それも大きく開かれた邂逅の時があると思うからであって、それはそれで酒に頼らなくても過ごせるものだから、客と交わす酒を制限する必要はない。

    客至 杜甫

    舍南舍北皆春水
    但見群鴎日日來
    花徑不曾縁客掃
    篷門今始為君開
    盤飧市遠無兼味
    樽酒家貧只舊醅
    肯與鄰翁相對飲
    隔籬呼取盡餘杯

    客中行 李白

    蘭陵美酒鬱金香
    玉椀盛來琥珀光
    但使主人能酔客
    不知何處是他郷