リアルということ

 諏訪に住む友人の黒澤氏がインドスズキ150ccのバイクで、ロマン美術館で開催されているびわ君の展覧会(7/7まで)を観がてら、山に立ち寄ってくれた。リュックから出された幾冊もの廉価版スケッチブックには、これもまたリュックに入っている12色ヴェトナム製トンボ色鉛筆のみを使ったスケッチが描かれており、三時間ほど久しぶりに互いの近況やらを交えた楽しい会話となった。
 1993年に霜田さんが立ち上げたニパフ(長野パフォーマンスフェスティバル)初回で、賛同作家展を企画した際に、木炭素描作品で、黒澤氏に参画をお願いした。既に26年も前の事だが、2019年の黒澤氏のスケッチの描画システムは、当時のものと変わっていない。日々勤労し家庭を育み、こちら同様次男には子ができて、作家活動というより、出自のバイアス(武蔵美卒)に逆らわず諦めず、陶芸と素描を仕事の合間に知的好奇心に従って行なっている。陶芸作品は陶土の精製から手がけて奇妙奇天烈な創作ではなく生活に使われる器に仕上げられている。加算のみで物質空間を翻訳(意訳)するかの、朧に立ち顕れる光景のような描画は、素晴らしく視覚的眼球的なリアルへの探求的な反復仕草となって、考える前に「視る」ことを促す光のようなものと感じるのだった。所謂印象派の画家たちも、この「視る」欲望に支えられた手法を見出している。この国ではリアルであることが寧ろストレスとなっている事象を並べつつ、ダヴィンチの解剖の後、取り出した眼球がレンズであることを踏まえたかどうかわからないが、「自然の魔術」1558年発刊 / Giambattista della Prota(1538-1615)にて、カメラオブスキュラのピンホールに「レンズ」を用いると像が鮮明になるとの記述されたのがレンズのはじまりであるらしい。ガラス自体はローマから生産されているので、千年もあれば効用はあれこれ試されただろう。だがしかし、ミケランジェロの劇画的リアリズムから、フェルメールのリアル獲得への、ヒトの欲望としての希求の根はどこにあったのだろうかなどと、会話はすすむのだった。因に五姓田義松 (1855~1915) の鉛筆使用が、この国では初めての西欧的リアル開眼といえる。現在でもこの西欧的リアルよりも、アニメや2次元キャラによる鳥獣戯画的虚空(フョイクション)を生存の癒しとする系譜は脈々と多様化して継続している。この事象は善し悪しではなく、そうであるにすぎない。
 ものを「つくる」ことが先行すると、みえている状況が後付けになる場合があるなと、こちらとしては、視ることよりも、併置する行為的システムで創作をしているので、観察対象など部屋の隅や窓の外のどうでもよい景色であっても一向に構わない黒澤システムは、ひとつの清潔な視覚の能動的置換行為であって、大いに私を刺激示唆するものがある。携帯の画像で示された木炭ひとつで空間を抽出する素描はやはりまた自宅作業場の片隅が描き出されているだけだが、個人的には彩色描画よりも凄みがある。
 極彩色のオイルパステルやら色鉛筆の散らばったこちらの部屋をみて、黒澤氏は、ブレードランナーの屋台の親爺のような口調で「12色で充分ですよぉ」と言うのだった。
 今年のD19に出品参画をお願いして、これ頂戴と、車のスケッチ作品を頂く。額装をモリヤくんに頼もう。