彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも

「この作品では、処女の領域、あるいは官能性、哲学的思弁、スポーツ競技の精神、科学の最新情報、叙情性やユーモアの辺境を駆けめぐる途方もない狩りの戦利品を見のがすことはまず不可能だろう」ほぼ百年前に、Marcel Duchamp (1887~1968) が渡米後の28歳から36歳までの8年を費やして制作された、通称「大ガラス」(修正レディ・メイド(油彩、ガラス、鉛の箔、ヒューズ線、埃など) / サイズ 277.5 cm × 175.9 cm / コレクション フィラデルフィア美術館)「上部:花嫁の領域、下部:独身者機械。上下の間に、花嫁の衣装と呼ばれる部分がある-1923年に未完のまま放棄」に対して、アンドレ・ブルトン(1896~1966)は即座に、「予言的な記念碑」であると位置づけた。
 
 再制作による解析(前世紀)という享受(詩的・叙情的意味論)よりも、「大ガラス」修復論的な取り組み(グリーンボックス)のようなものに、私のなにやら新しい関心が頭を擡げるのは。おそらく作品の示す、透過性、物語性、構造的構築性、時空に対する先見性の、時間を越えても尚、類型を拒絶し続ける無所属の突き抜ける表象にある。(同時代的にはほとんど理解されず孤立) 観方によっては現在の携帯端末モジュールをすらそのテクスチャー(質感)に示している。次元圧縮の態は、独身者の機械ーチョコレート粉砕器の透視図法が未だに有効。「混在の軽さ」は当時はかなりのサイケデリックな表象であり、8年に渡る制作という持続にも社会時空(*第一次世界大戦:1914年〜1918年)に理由がありそうだ。
*第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇、ジェノサイドの犠牲者を含み戦闘員900万人以上と文民700万人以上が死亡した。ーwiki

ーこの作品の構想や各部分の表す意味については、難解で哲学的なメモ類(「*グリーンボックス」)が残っており、これらを分析することでデュシャンでなくとも「大ガラス」を再制作することが可能である(東京大学に瀧口修造、東野芳明監修のもと再制作された『大ガラス』があるほか、リチャード・ハミルトンによって作成されたロンドンバージョン、ウルフ・リンデによるストックホルムバージョンが存在する)ーwiki
*グリーンボックスは通常版とメモの原本を一点ずつ添えた特装版10部をくわえて1934年9月に最初の箱が出版。特装版10部と通常版35部が売れて、印刷費はほぼ回収。

ー1912年、出世作『階段を降りる裸体No.2』、『花嫁』などを描く。しかし、所属していたキュビスムを研究するグループの保守的な批判(『裸体は階段を降りるものではない』と題名の変更を求められた)に憤慨し、グループ展に出品していた作品を取り下げる。この1912年に油絵を複数制作後、油絵をほとんど放棄する。ーwiki

Sigmund Freud (1956~1939)の、「精神分析入門」(1917年)、「リビドー理論」「自我とエス」(1923年)をここに追記。