折衝

 雨降りが心地よく思われる時がある。精神が洗われるだけに作用する気分になり、細々した日々の屈託を横に置くことができる。私の考え続けている藝術も、どうやら屈託の中、複雑な折衝を重ねる時間にあるのではなく、かなり単純な「精神の状態」を明らかにすることだなと、早朝、泥まみれの素描から身を引いて、冷えて醒めていく感覚を、雨の気配の横に並べていた。
 過ごしの時間が勝手に刻まれるのを無責任に放るかの、横柄な戯れも許していたから、こころの緩みのような不機嫌が膨らんだのかもしれない。単純端的と区切った悉も累積の俯瞰の下では、併置が二乗され、集合的連携の構造が、思ったよりも酷い磁性を孕み、清潔な「精神の状態」と成らない。

 土台、選択から手をかざし触れていく過程での、複雑とまではいかない折衝の道では、時間の起伏を含むのだから、仕方のないことだが、でもなと、首を傾げて、ミシンなどを、繕い物に疲れた家人の目で睨んでいる。