治癒放下

 5年という時間空間の環境によって自らが得たヒーリングの詳細を単に記述描写することは、特権的な理論となるので、その効果の放下にはならない。もともと差別的な考え方には嫌悪感があるので、ヒーリング自体でもある営みを変換せずに、なるべくそのまま遺すことはできないか。ということが季節を重ねる度に私の藝術としての心得として成熟していく実感はある。堆積地を踏み枝を折り森を歩くこと、濡れた樹肌新しい枝落ちた葉に触れること、環境の自然(じねん)音響に耳を澄ますこと、気象や光の変化の中へ進みでてそれを享受しみやること、単に環境に併置存在していることだけの悉を、受動即能動する「行為痕跡」として、手法を洗練させるのではなく、抽出的な恣意をも排除し、持続的影響自体の自明さを明晰に示す。という傾向にある。