共有地という概念は、所謂「共有地の悲劇」のロジックから、その所有とそれ以外という境界を示唆すると共に、共有地自体の保全、持続、等々のシステムを、都度固有に構築する必要性が高まっている。似た概念で錯覚と誤解が多いのは、「公共」「公共財」であり、これは、、非排除性あるいは非競合性の少なくとも一方を有する財として定義されるので、共有地と同じ差別境界は持たないが、それに変わる「私的財」が布置され、ここに認識の混乱が生まれる。「共有地」という時空を巡るコンセンサスは流動的であり、本来は場所的であるが、情報網が場所を貫いた時代性において積極的に「公共」に関わるようになった。故に「公共の共有地」というパラドクスの解析を、多くの局面において試みはじめている。
公共には、
official(公務員が行う活動が帯びるべき性質)
国家や地方自治体が法や政策などに基づいておこなう活動。
例:公共事業・公共投資・公的資金の投入・公教育・公安の維持。対比されるもの:私人の営利活動。
common(参加者、構成員が共有する利害が帯びる性質)
共通の利益(公共の福祉)の追求・共有財産(公共財)の維持管理・共有する規範(常識)の創出・共通の関心事(ニュース)などの伝播。
例:公益・公共の秩序・公共心・世間(せけん)。対比されるもの:私有権・私利私欲・私心。
open(公共的なものが担保しなくてはいけない性質)
誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報。
例:情報公開・公園等の公的空間。対比されるもの:秘密やプライヴァシー・私的空間。
があるとされる。(wiki)
「共同体」という概念も、wikiをみると、
ーゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャフト
テンニースは、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフトからゲゼルシャフト(Gesellschaft)へと変遷していくと考えた。ゲゼルシャフト(Gesellschaft)はテンニースが提唱したゲマインシャフトの対概念で、近代国家や会社、大都市のように利害関係に基づいて人為的に作られた社会のこと(近代社会)。ゲマインシャフトとは対照的に、ゲゼルシャフトでは人間関係は疎遠になる。
日本においては、労働集約型の農業を基礎に「協働型社会」とも呼べるものが形成されていた。これは産業革命、工業化のプロセスに従って企業共同体へと変貌したと言われる。しかし経済のソフト化に伴いそれが崩れつつあり、日本の歴史上において最も激しい変化を経験していると言える。ーwiki
地域コミュニティーから、所属集団(membership group、単にその一員であるというだけの集団、会員権のようなもの)から、準拠集団(reference group、そこに参加できることが憧れとなるような集団)への過程移行、インターネットコミュニティなども広義の共同体とされることもある。
伝統的な村落共同体は、農村、漁村、山村に形成されたが、今や多重にクロスオーバーする共同体の錯綜の中で、同じような迷彩色に彩られた共有地を巡って、対立する利害を調整する公共性を問う時代となっているわけであり、そもそも単なる自閉的な個体(individual)の生存が不可能である環境下において、全活動が進行していると考えると、例えば、今や死語となった感もある「表現」という概念も、どのようなパラダイムにおいて機能する概念であるかとすると、具体的な文脈を形成する現れを示すものとは別の概念の付与が不可欠であるのは頷ける。
自己営利目的の企業組織共同体も、継承的教育機関共同体も、家庭、家族共同体も、歴史的な文脈では了しない、解体と再構築の、そのロジックが、ある種の時代的な検証の同期を含まざるを得ない。
そういった意味での「機能性」をシステム化させる「共有地」の概念は、表象のレベルでの基礎を形成する。
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