速度と距離の場所

 あの時放り投げた「清潔な距離」を振り返ると、それが思念の速度(時間)のようなものとなって今も横たわる。使い古された道具ではなく愛玩の私物でもない、指先から稍離れて扱われたその距離は、ひどく微妙な距離(という他ない)に放られたまま、気づけば数十年を涼しく佇んでいる。
 悪しきコンスクエンスから離れた(逃れようとしていた)その場所は、凍結されたスタティックな一瞬ではなくて、時空に都度照応していたかの表情を、その検証の底に滲ませている。その表情という時空が今となって顕われるのだろう。

 些細な出来事の描写によるこの距離の策定は不可能だったから、思念の行方を光の反応へ向けるような「扱い」を行うしかなかったが、これは例えば「目的を持つ」ことの真逆の性質があって、ある種の「頓挫」にも似ている。と同時にパチンと指を鳴らす音のようでもあり、その単純な清潔がつまり場所を得たとも云える。

 認識の類的共有に関する違和感自体が及ぼした癖のような態度であったのだろうか。青年が唐突に既知という把握への欲望を喪失し、未知を距離として其処に与える仕草に没頭したのは、さまざまな理由があった筈だが、これも長大な流れからすれば、類型へ収まるのかもしれない。

 アプリオリにみつめるしかなかった黄鉄鉱の結晶が置換されたアンモナイトパイライトの重さに気づいた時、わたしは更に何を見ようとしていたのだろうか。最古のウルク(イラク)で都市を構造化させ類型化を促し金を凌いだ銀と同じ鏡面の意味を反転で支えた重さ(密度)ではなかったか。事実最古貨幣銀のリング・インゴット「シュルク」は銀の重さとして定着をみたという。鉱物標本の極度に非人間的な無機物の輝きに貌を寄せた子の見開いた瞳に照り返された煌めきは、いつまで経っても無慈悲なままであると同じように、形象から密度へ移動し、ヒッタイトよりも遡った鉄(くろがね)の重さへと躙り寄ると、潤沢な時間を経巡っている思念の速度に気づくのだった。

 判る(理解)は堕落であるから、わからないという対象化への距離を測って対峙することがのぞましい。否、その意志化を決然と愚鈍に反復するしかないだろう。