単調な、そしてインク切れの早いプリントアウトの間、「人の世」「ヒトの世」「人ノ世」と繰り返して呟き、万年筆で縦書きまでしていた。何度か、大雑把だ、大袈裟だ、否、身も蓋もない有態な観念だ、文字が残った紙を丸めて棄てたが、床や壁に並んだ画面を歩き回りつつ眺めて、「人ノ世だな」と言葉が出た。「路眼」というスタンスではじめていることがあり、面白いもので、言葉が引き寄せるイメージによって、示された平面の誂えが変貌し、「こちらとそちら」という立場の違いのような気楽な差異だが、眺めは変わる。所有権を放棄し、責任だけ受け持つ、いわば娘を嫁にやるような感覚のような気もした。
個別の撮影した年月日を辿り、残されている記録をネットで漁り、当日の報道記事や事故、気象などにも目をやり記述を引用して「あの時」という時間の上に重ねていた。当日起きていた出来事を知りたいと思ったのは、600秒の編集映像に混迷している時に、発作のような唐突さで動く絵から静止画へ振り向くような、撮影の時の検証を、オルタナティブな出来事という立場へ、背負った荷を棄てて飛び乗り、そこから無責任に撮影されていることを眺める必要があった。
いずれにしても、自身の行為が、刻々と過ぎる時間に埋め込まれつつ、唖然としながら、当惑の果てで辛うじて指が動くか細さであることを、常々実感していたので、残されたものは、気象の記録と変わらぬ様相であることを、むしろ自負したい気持が生まれている。
半年ほど、出力の検証をしながら辿り着いたのは、一枚の平面が意味するコンテクストへの得心と、反復の可能性を得たことであり、10分という映像を、歴史的に捉え放ること。
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