フィカス・バーガンディと銃とイエガタ

 まだ大学にも行っていない思春期に一時夢中になって手に入れたモーゼルM96狙撃銃のモデルガンが物置の隅に立てかけられていた。分解すると組立を指先が思い出した。隠しておいたものを父親にみつかりこっぴどく叱られ取り上げられた。銃身には鉄板が挿入され実射はできないものだったが火薬を詰めた銃弾を込めて引き金を引けば爆発し煙が漂った。夏川から少し下った農道の東にある小屋が、通り過ぎる度に気になっていたが、到頭車を止めて近寄りシャッターを押した。変哲のない農作業用の器具が置かれ収穫物を置くこともあるのだろう、幾度も突貫で風雨を凌ぐスペースを追加された風であったが、何よりもその小屋は田畑の中にぽつんとひとつ在ることが、存在の印象を強いものとしていた。93年頃取り組んだ「イエガタ」の造形はごく簡単な矩形 七面体だったが、以降「イエガタ」という表象が長い間私のどこかに残っていた。シェアハウスと家族を象徴する菅沼の合掌造りの家形をつくづく眺める時間が加わって、冬から春にかけて取り組んだ「こしらえ」を含みつつ、またあるいはタルコフスキーのサクリファイスを憶いだしつつ、古材を並べてフィカス・バーガンディを囲む「イエガタ」を、ナガノオルタナティブ出品のためのインスタレーションとして組み立てはじめた。そして昨日物置から持ち出した30年前のモデルガンの銃身に植物を活けてイエガタに立てかけた。