行為具体

 殺気立った異なる奈辺が繋がった縄跳びに追い立てられるような瞬間移動から四年が過ぎようとしている。真っ盛りの夏に積み上げた段ボール箱を途方に暮れて眺めあげていたあの時と同じような喘ぎ方で、雑多に積み重なってその機能性を失って久しい机の上の処理にとりかかったのは、半年の業務処理を淡々とゴミからゴミを探した不必要を焚火に放り込んだ後のことだった。どうすれば日々が所狭しと積上る生活から抜け出せるのか。あまりに凡庸な愚痴を他人の頭で幾度も繰り返し、時折大いに府に落ちる数年前や数ヶ月前が手にしたものから一気に蘇り閉口する。業務整理の前に、あっと口に出して仕事部屋のカーテンをすべて外し洗濯をして、あっさりと間の抜けた空間に戻った明るさに包まれて、カーテンなどいらないと今更決めたような独り言を零していた。冬の間リビングには到頭カーテンを取り付けることなく酷い積雪を結露の向こうに眺めて過ごしていた。だがまあ夏の直射にはレース程度は必要かもしれない。
 
 営みも制作も斯かるビヘイビアにおけるアービトラリネスの対処が表出されるアクチュアリティーとして考えれば、対象検証的にアブストラクトとか象徴とかの差別的な視点での問題ではなくなる。率直な感想を剥離させずに取り組むべきだと初春の制作の片付けや見直しの中、単なる反復には落ち着きそうにない予知がイメージとなる。やがて行方はひとつの糸のようになるのかしら。